どうも、こんにちは!路上役者亮佑です。
僕は現在、路上の一人芝居のみで生計を立てています。
バイトもしていないし、他の収入源もありません。
しかしもちろん、最初からトントン拍子で収入が増え、
すぐに生計が立てられるまでになったわけではありません。
今回は、そんな路上役者が、生計を立てるという意味での
「プロの路上役者」にどのようにして辿り着いたか
を、書いていきたいと思います!
〜前編の目次〜
【「コント」から入った路上活動】
♢長編の独学自作コント
この写真は、僕が人生で初めて路上をやった時の写真です。
ちなみにこれは2年前、2016年9月のことでした。
この時僕は「コント」をやっていました。
それは、一人芝居やピン芸など、とにかく色んな一人芸を見て
純粋に一番「やってみたい」と思ったのが、コントだったからです。
僕は陣内智則のコントが大好きだったので、
陣内みたいなやつやりたい!と、
8分程の自作コントを路上でやり始めました。
僕はお笑いのスクールや脚本のワークショップなどに行ったことはないので
全て独学です。
「昔は、今のようなお笑いのスクールなんてなかった。みんな自分の力で、やってきたんだ」
昭和の大御所コメディアンのような言葉を何度も自分にかけ、
必死に自分を納得させながら作っていました(笑)
♢音響機器の導入、やり方は路上ライブのパクリ
何回目かの時に、見てくれた方が
「車の音がうるさくて、声が聞きづらい」
と言われたので、マイクやスピーカーなどの音響機器を使い始めました。
よく見ると、スピーカーに携帯が繋がれているのは
客引きの為の音楽を流していたからです。
あの『吉本新喜劇』の有名な音楽を流しながら、
「どーもー!新宿駅南口をご通行中の皆様!こんばんは〜!!!」
「今から世にも珍しい路上コントをしますので、よかったら是非見ていってください〜!!!」
といった感じで呼び込みをし、
その後に、当時まだ1つしかネタがなかったので、
その唯一のネタを数回繰り返す、という
歌手がよくやっている路上ライブとほぼ同じ手法でやっていました。
♢お金をもらうことへの意識はゼロ
当初、路上ライブでよく見る投げ銭箱は置いていませんでした。
それは「自分のコントにお金を払う人なんかいない」と思っていた、
つまり、お金を取るほどの自信がなかったからです。
投げ銭箱を置き始めたのは、
路上を始めてから約2ヶ月後でした。
きっかけは、路上コントを見てくれた方が
「楽しませてもらったから」
という言葉とともに、財布に入っていた全ての小銭265円を
手渡してくれたことでした。
僕が猛烈に感激したのは言うまでもありません。
「経験も実績も何もない俺のコントが売れた…」
これは、自分のコントに金払うやつなんかいないと思っていた、
僕の価値観を引っくり返すほどの出来事でした。
そして僕は、その次の路上から投げ銭箱を置くようになったのです。
(↓初めてお金をもらった後の投稿。インスタへの初投稿でやり方が掴めず、感激どころか感情が全く伝わってこない)
♢じゃあ、路上は何のため?
当初、僕はお金をもらうことを全く意識していなかった。
では、何のためにやっていたのか?
それは舞台を観に来てもらうためです。
僕は好きなことで飯を食いたかった。
だから、どうしても”プロの役者”になりたかった。
その”プロ”の定義は、
芝居で飯を食っている人です。
その為に、当時の僕が考えていた戦略は
チケットをたくさん売ることでした。
僕がいる小劇場界はチケットバック制といって、
芸歴などに関係なく、チケットを売れば売るほど収入が増えるので、
「チケットをたくさん売れば芝居で飯が食える。つまり、”プロ”になれる」
これが僕の考えていたプロへの戦略でした。
【ビラ配りから閃く。「手法」を変える】
♢路上開始後初めての舞台での軽やかな挫折
路上を始めてから3ヶ月が経ち、
路上を始めた後では初となる舞台がありました。
当時の路上の目的は舞台を観に来てもらうことのみ。
3ヶ月でどれだけ結果に繋がったのか、僕にとっては恰好の腕試しでした。
この舞台では、集客への新たな試みとして
路上と並行してビラ配りもしていました。
「チケット売るためなら何でもやる」
この舞台で初の主役を務めることになってたので、
かなり集客に必死でした。
その努力の結果、
路上がきっかけで来てくれたのは3人
ビラ配りがきっかけで来てくれたのは4人でした。
3ヶ月やってきた路上より、
10日ぐらいしかやってないビラ配りが勝ったのです。
見事なほど軽やかに挫折しました。
♢挫折を契機にやり方を変える
これはなかなかショックでした。
開始わずか3ヶ月で路上引退説浮上です。
しかしここで止めたくない
間違ってるのは方向ではなく方法だ。
と、頑なに路上の負けを認めない僕は、
ビラ配りの手法を路上に取り入れることにしました。
路上での歌に比べて、路上での芝居が全く流行っていない一番の理由は、間違いなく
途中から見ても分からない
これに尽きます。
「だったら、最初から見てもらえばいい」
ビラ配りをしていて思ったのは、受け取ってくれた人は
話を聞いてくれる確率が高いことです。
「じゃあ、ビラを配って話を聞いてもらう代わりに、ネタを見てもらえはしないだろうか?」
早速僕は自分のビラを100枚刷り、
ビラ配りを入り口にして、路上コントへ誘導していったのです。
(↓ビラ100枚届いて、とりあえず床一面に並べてみた図。気持ち悪い…)
具体的には、ビラを渡しながら
「すみません、僕いま路上でコントしてるんですけど、よかったら5分だけ見てもらえませんか?」
と、ひたすら話しかけまくる。
その手法を試した1組目で見事成功。
その時僕のコントを見てくれた、ヒカルさんという方は、
その後、僕の舞台を2度観に来てくれました。
♢ついに初めての…
やり方を変えて初めての日に
良い結果は他の面でも早速出てきます。
路上コントで初めて1000円を貰ったのです。
(↓初1000円の写真。インスタの投稿にも慣れてきたのか、感情が随分と伝わってくるようになっている)
これは、自分の中で本当に世界が変わった。
いまでも鮮明に覚えてますが、それは
一気に視界が開けてきた感覚が明確にあったからです。
「1000円貰えた…嬉しい…
ということは、これから路上を続けていけば、
また1000円貰うこともあるだろうし、
いずれは5000円だって10000円だって、貰えるようになるんだ…」
という確信が、なぜか芽生えたのです。
この時僕が抱いた確信は、その後やがて現実のものとなります。
5000円も10000円も貰った今でも、
お金に関する体験で、
この時の初めての1000円を超えたことはないです。
おそらく今後もそうなのかなと思います。
♢時短、時短
そして、手法と同時に変えていったのが時間です。
見る側からすると、
初対面の見ず知らずの役者の芸に、5分はリスクが高すぎます。
大体30秒も見れば面白いかどうか何となく分かるので、
つまんなかった場合の残りの4分半は、まさに地獄です。
ちなみにそれは演じている側も感じ取れるので、
見る側にとっての地獄は、僕にとっても地獄です。
何度、途中で「すいませんでした…」と謝って
中断しようと思ったことでしょう。。
なので時間は、5分を4分に、4分を3分にカットしていき、
最終的に、このコントは2分まで短くしていきました。
(↓3分でやっていた時)
(↓2分時代。かすかに見える2分だけ!の文字)
手法を変え、時間を短くし、初めて1000円も貰い、
徐々に軌道に乗り始めた僕の路上活動。
しかし、そんなのもつかの間、
次はいよいよ「内容」についての迷走が始まるのです。
ーーー『後編』へ続くーーー
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