俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

"プロの役者"になりたいー試行錯誤の末に辿り着いた、路上芝居で飯が食えるまでー後編

どうも、こんにちは!路上役者亮佑です。

 

今回は、前回なかなか反響があった

僕がプロの路上役者になるまでの悪戦苦闘の日々を

書いていきたいと思います!

 

ちなみに、僕の迷走を包み隠さず書き記した前編はこちら

 

 

〜後編の目次〜

 

 

 

【コントに飽きる。が、次の手浮かばず。なんでもやったYouTuberパクリ時代】

 

♢弱気な思考でコントを卒業

 

路上のやり方を変え、時間を短くし、それなりの結果を手にし始めた路上役者亮佑ですが、

次は内容の変更に着手します。

 

 

まず表面的な事ですが、路上「コント」と言っていたのを

路上「芝居」に変えます。

 

というのも、コントと書いてあると、芸人に勘違いされるからです。

 

芸人に勘違いされる

笑いのハードルが上がる

スベる

落ち込む

 

このサイクルが頻発し、完全に心が折れかけていました。

 

「もう芸人さんの笑いのハードル超えられません…」 

という完全な白旗宣言から、名前を路上芝居に変更します。

 

 

 

 

♢「なんでもやる企画」

芝居をしたいなぁという想いを抱えつつ、

一人芝居なんてどうやってやったらいいか分からなかったため、

この時の芝居の内容は、コントのネタと同じでした。

 

 

しかし、高確率でスベる自作コントはもうやりたくないという

強いアレルギー反応が出始めていたので、どうしても内容を変えたかった。

 

しかし、何も思い浮かばない。

 

そこで、路上でやる事を公募することにします。

 

 

これで僕の元に来た提案はゼロ(泣)だったんですが

企画を始めて3日ほど経った日の路上で、

以前観て頂いた方と二度目の遭遇をします。

 

その時にこの企画の話をし、その方から頂いた意見が唯一の意見だったので、

僕は即座にそれを実行します。

 

 

 

 

♢テンション0−100%

 

それが、人気Youtuberであるフィッシャーズの「テンション0−100%」でした。

 

これは、「始めにテンション0を維持して、1分経過した後テンションを一気に100に切り替える」

というものです。

 

www.youtube.com

 

僕はこの「テンション0−100%」を勝手にパクって、勝手にアレンジして、勝手に路上で始めます。

 

1分は長いので20秒(テンション0と100を10秒ずつ)にし、

無言ではなくセリフを喋る事にしました。

 

 

時間で言えば、最初8分で始めたものが、

この頃には20秒にまで短縮された事になります。

 

セリフも無意味なものではなく、止まってくれた方にお題をもらい、

即興でそのお題に沿って簡単なストーリーを作り、

テンション0と100を作り出す事にしました。

 

 

言葉で説明しても分かりづらいと思うので、

ここで僕が「メルカリテンプレート」と名付け、多用していた

即興に見せかける裏技を例文で紹介します。(←結局言葉で説明する)

 

 

例)お題「犬」

「あーあ…犬飼いたいなぁ…チワワ欲しいなぁ…でも高いよなぁ…買えないよなぁ…は〜あ…」

(ピピピとタイマーが鳴る)

「え!!!うっそ!!!まじ?!?!?!あの希少価値の高いチワワが、メルカリで350円?!?!やっす!買う、買う、買う、絶対買う。やったぁ!チワワが飼える!」

 

こんな感じです。

 

 

 

これ、なかなかウケるんですよ(笑)

 

 

Youtuberって頭いいんだなぁと心底思いましたね。

僕自身もやっていて楽しかったので、

この「テンション0−100%」をしばらくやり続けていきます。

 

 

 

【とにかく数を打つ!やりにやりまくった毎日路上時代】

 

♢ようやく路上「芝居」を開始。「即興」時代

 

路上を始めてからちょうど一年が経過した頃に、

新たな企画を始めます。

 

それが「毎日路上企画」です。

 

 

これと同時に、名前を「即興ひとり芝居」に変えます。

 

立ち止まってくれた人からお題をもらって

「どんなお題でも”喜び”に変える一人芝居」と謳っていましたが、

中身は変わらず、ほぼ「テンション0−100%」でした。

 

こう考えると、僕は表面的な変更が多いですね(笑)

 

 

未熟者はとりあえず数を打ちまくるしかないという考えから、

雨の日も雪の日も台風の日も関係なく、路上をやり続けました。

(結局この毎日企画は、翌年の5月28日に面倒臭くなり止める)

 

 

♢”芝居感”を出すために「即興」から「台本」へ

 

「即興」がウケるかどうかは、やはりお題による部分も大きいため、

「即興でウケたやつ寄せ集めれば、毎回ウケるんじゃね?」 

という安易な考えで即興を止めます。

 

 

即興一人芝居を約4ヶ月続け、

我ながら「上手いことやったなぁ」というネタを元に台本を書き、メニュー化し、

”全てが喜びに変わる一人芝居”と謳い始めます。

 

 

僕の路上芝居を見てくれた方はご存知だと思いますが、

この”全てが喜びに変わる一人芝居”というのは、現在の形式です。

 

1年4ヶ月の試行錯誤の末、僕はようやく一人芝居の1つの型を見出します。

 

 

(↓当時のメニュー)

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♢収入激増へ繋がった”先輩”との出会い

 

そんな形式も内容も落ち着いてきた頃、

一人の”先輩”との出会いが、僕の路上人生を大きく変えます

 

その方は柳田大輝さん(@yanagit04hiroki)という方で、

「カバーは絶対に歌わない」というポリシーの下、

オリジナルの歌のみの路上ライブで、2年間生計を立てている方でした。

 

 

先ほども書きましたが、この頃は”形式も内容も落ち着いてきた頃”

逆に言えば停滞期です。

 

この日も、あまり良い出会いはなく、僕はかなり弱気になっていて、

積極的に呼び込みをする事さえ出来ていませんでした。

 

 

そんな時に、たまたま柳田さんに出会い、頂いたアドバイスが2つありました。

それは、

 

①目立ちやすくする為に、譜面台を置くこと

②あらかじめ、投げ銭箱に見せ金を2000円置くこと

 

の2つです。

僕はその日中にアマゾンで譜面台を買い、

次の日から投げ銭箱に2000円を置くことにしました。

 

(↓柳田さんと会った次の日の写真。2000円が見えるが、譜面台はまだ届いていないらしい。)

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(↓譜面台届く)

 

 

柳田さんはこの時、僕に熱い言葉の数々とともに、

「まず5000円ですね。1日で5000円稼いだら連絡ください」

と宿題を与えてくれます。

 

 

当時の僕にとって5000円は、かなり大きい額です。

1年4ヶ月やってきて、4000円を超えたのが1度だけ、

あとは大体300円〜良くても2000円程度でした。

 

 

しかし、柳田さんと出会ったわずか11日後、僕は

5000円超えを達成することが出来たのです。

 

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この月、僕は一月での収入が初めて5万円を超えます。

 

 

 

♢バイト辞める!そんな勇気なく1ヶ月限定でバイト休止

 

収入が増え始めたこの頃になって初めて、

僕は路上で生計を立てる事を意識し始めます。

 

とは言っても、まだ1ヶ月の最高額が5万円。

とても生活できるレベルではありません。

 

 

しかし、この5万円はバイトをしながらの額だったので、

「今バイトしてる時間も全部路上に費やせば、ワンチャン生活できるぐらい稼げんじゃね?」

と、これまた安易な考えに走ります。

 

 

しかし、いきなりバイトを辞める勇気はなかったので、

1ヶ月限定でバイトを休み、全てを路上に捧げる1ヶ月を過ごします。

 

2月という、一年で最も寒い時期に、一日も休む事なく160時間路上に立ちました。

そして稼いだ金額が、10万4千円

 

…まあまあですね。

凄い!ともダメじゃん!とも、どっちとも言えない金額です。

 

 

しかし、生計を立てる為に必要な金額を12万円

何となく見積もっていた僕にとっては、「もう少しでイケる」という手応えを掴めた1ヶ月でもありました。

 

 

♢最後の一押しは大切な”パートナー”の一言

 

その次の月から予定通りバイトを再開し、2ヶ月ほど経過したある日。

路上を始めた時から一貫して僕のことを応援してくれている彼女と

馬事公苑にあるくら寿司にスシを食いに行きます。

 

「ハマチ、めっちゃ美味しかったなぁ」

とかなんとか、僕が呑気な話をしていると、

彼女が突然ガチな会話をし始めます。

 

最近の亮佑は挑戦してないと思う」

 

その時、僕は反射的に「そんなことはない!」と反抗してしまったのですが、

家に帰り、一人になった時にふと思います。

 

「その通りかもしれない」

 

彼女のその言葉にケツを叩かれた僕は次の日、

バイト先にその月限りで辞める事を告げます。

 

2018年5月のことでした。

 

 

僕は6月からいよいよバイトを辞め、

念願のプロの役者として歩み始める事になります。

 

しかし、この時点での月間最高額は、10万4千円

 

生活するには12万円は必要と考えていたので、

僕はかなり見切り発車的に、プロとしてやっていく事を決意したのです。

 

 

♢プロになる。その後

 

6月からバイトをせず、路上芝居のみで生計を立てているので、

現在プロとしてはまだ4ヶ月目です。

 

ちなみに、プロになってからの最初の3ヶ月の収入は、

10万、10万、13万です。

 

カッツカツです(笑)

だけど、今の所はなんとかなっています。

 

 

独学の自作コントから始まり、

時間を短くし、やり方を変え、YouTuberの真似事をして。

 

実力も実績も知識も技術も、

何もなかった自分が、今はプロの役者として生きています

 

 

僕がやってきたことは、常に挑戦し続けること。

常に一歩を踏み出すこと、それだけです。

 

 

プロの役者になり、一番変わったこと。

 

それは、1日の時間を全て自分がやりたい事に費やせるようになったことです。

 

29年間生きてきて、今が最も収入は低いですが、最も幸福度は高いです。

 

 

絶対に後戻りはしたくないし、

収入を増やしていければ、舞台に立てるようになればと、

僕の幸福度にはまだまだ伸び代があります。

 

  

こういう事を仕事にしているとよく、

「夢を追っているんだねえ」

と、さも特別な事をしているかのように言われます。

 

しかし、僕はそれに違和感を覚えます。

 

 

僕は、人生は幸福の為にあると考えています。

 

お腹が空いた時に、ご飯を食べれたら幸せですよね。

眠い時に眠る事ができたら幸せですよね。

 

 

言い換えれば、幸福というのは、

やりたい時にやりたいことをすることだと思うんです。

 

 

僕はそれを常に意識して、1秒1秒実践しているつもりです。

「夢を追う」と言われると、

何か普通とは違う、特別なことをしているように聞こえますが、

僕にとっては、”寒いから暖かい服を着る”ぐらいに

自然で本能的なことをしているだけなのです。

 

 

「働きたくないけど、お金の為に働く」というのは、自然なことでしょうか。

「働きたくないから働かない」という方が自然なのではないでしょうか。

 

 

僕は、路上を始めて1年9ヶ月後に、

ようやくその不自然な状態から抜け出せました。

 

役者の人が舞台稽古や本番を”労働”と捉えていないのと同じように

僕も路上を”労働”とは捉えていません。

 

 

この幸せな状態を一生続けていく為に、

この幸せな状態をもっと発展させていく為に、

僕は役者として、これまでと同様にこれからも、

努力し続けていきたいと思います。

 

 

 

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