僕は、まだまだ与えられてばかりだなぁと、最近心から思います。
どうも!路上役者亮佑です!
僕は、路上役者亮佑という名前の通り、役者をやっています。
役者というのは、一般的に言えば、夢や元気を与える仕事なんて言われます。
僕も、「元気をもらいました」なんて言われることも時々あります。
せっかくこんな仕事を選んだのだから、自分の”楽しい”を表現しながら、他人の”楽しい”を実現できればいいなと思ってはいますが、そう簡単なことではありません。
路上に立てば無視をされ、芝居をやればつまらないと言われる。
路上で芝居をするときは、目の前を通る人に、
「お兄さん(お姉さん)、こんばんは!僕役者やってます、1本だけひとり芝居観てもらえませんか?」
と、片っ端から声をかけるんですが、1人に観てもらうまでに、軽く50回は無視されます。
100回無視されることもあります。
今年から始めた「流し」でも同様のことはゴマンとあります。
「流し」というのは、居酒屋で飲んでいる人のテーブルを回って、一卓一卓に「ひとり芝居観てもらえませんか?」と声をかけ、OKがもらえたら芝居を披露する、というものです。
気心知れた仲間と楽しく飲んでるのに、そこに呼んでもない知らん奴が急に「ひとり芝居観ませんか?」と声かけてくるわけですから、冷たい視線を浴びることもしばしば。
ようやく観てもらえた!と思ったら、感想が「…頑張ってください。」だったりする。
最近思ったことは、「楽しいことで生きていく人生というのは、楽しい時間ってあんまりないんだな」ってことです。
しんどい時間が大半。
路上で無視される時間も、流しで苦戦する時間も、「じゃあどうすればいい?」と改善策を考える時間も、楽しいよりしんどいと感じることの方が多い。
時には、今日は路上立ちたくないな…流しやりたくないな…と挫けそうになるときも多々あります。
頑張っていても、結果が全ての世界。
酷評が続くと、楽しいことをしていたはずなのに、いつの間にか夢と希望とモチベーションが、恐怖と不安によって無くなってる。
つい先日、僕はまさにそんな状況でした。
路上は観てもらえないし、流しは心を動かせてる実感がなかった。
路上も流しも、目的は舞台の集客力を上げるためなのに、集客数は下がっている。
ネガティブな面ばかりが、目についてしまって、マックのポテトに20本に1本ぐらいの割合で入ってるしなしなポテトのように、僕の心は力なくヘタっていました。
でも、そんな中、昔から応援してくれてるお客さんが「来月の舞台楽しみにしてるね!」と連絡をくれたり、役者仲間が路上に足を運んでくれたりする。
先日の代々木でやった流しでは、愛媛から来たという親子の方に、芝居を見てもらった翌日に、「昨日は娘と、楽しかったね!って話してたんです」とメッセージを頂きました。
自分は、役者という市議とを通して、観る人に何かを与えられたらいいなと思って活動してますが、振り返ってみると、僕はまだ与えられてばかり。
舞台楽しみにしてると連絡をくれたり、わざわざ路上に足を運んでくれる方からすれば、「あなたにもらってるんですよ」と言ってくれるのかもしれません。
たとえそうだとしても、僕からすると自分が与えたものは見えないし、感じ取れない。
けど、自分が与えてもらったのものは、実際に感じ取ったもので、目に見えてはいなくても、明らかに体感してる。
与えたものは見えないけど、与えられたものは感じ取れる。
よく言われるように、”自分が与えたものは大きくなって返ってくる”のであれば、やっぱり僕は与えたものよりも、はるかに大きなものを与えられてる。
役者として、人間として、より大きなものを返していけるようにならないといけないな、なりたいなと思います。
【!!路上役者亮佑、出演舞台!!】
劇団ノーティーボーイズACT23
『CAFÉ de 金剛』
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