俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

落ち込んでいる人必見!ー目標は低くていい!低い目標のススメー

どうも皆さん、こんにちは!路上役者亮佑です!

 

一昨日と昨日、僕はかなりギリギリの日を過ごしました。

 

まず一昨日。

やる気が起きない。気持ちが起きない。

前日のブログで、「不振から立ち直るには、結局やるしかないんだ」と、偉そうに書いておきながら、何もやれない。

 

下北沢まで行ったのに、弱気になり過ぎて、半泣きで彼女に電話。

よしよし、と慰めてもらう始末。

結局、ほぼ何もせず帰る。

 

昨日も路上に出る前は、かなり気分はネガティブでした。

 

しかし結果的には、なんとか立ち直りの兆しを見せました。

 

 

では、一昨日と昨日の違いは何だったのか?

 

自分なりに振り返ってみると、それは「目標」の捉え方の違いでした。

この2日で、僕は「目標」に対する捉え方を変えたのです。

 

なので今回は、その目標の捉え方について書いていきたいと思います!

 

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〜目次〜

 

 

【目標は低く設定しろ】

 

「目標が、その日その日を支配する」

 

これは、高校野球の名門・横浜高校渡辺元智前監督の言葉です。

 

みなさんは目標をどのように設定していますか?

目標って少し高めに設定するものだと思っていませんか?

 

1日の中で、自分が少し成長できるように、少し大きめの目標を立てる。

 

「人間は、目標を追い求める動物である。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなる」

 

これは、ギリシャの哲学者・アリストテレスの言葉です。

 

でも、僕は目標は低くてもいいと思っています。

むしろあえて、低めの目標設定をするべきだと思うんです。

 

 

【目標は喜ぶためだけにあるもの】

 

それは、目標は喜ぶためだけにあると思うからです。

結果として、喜べない目標なら何の意味もない。

 

目標って、つい高めに設定してしまって、それをクリアできなかったら、落ち込んじゃいませんか?

落ち込むぐらいだったら、目標なんか捨てた方がいいんです。

 

だって目標は、あくまでその先にあるゴールに近付くためのものだから。

 

だから、最終的にゴールできれば、目標なんてどうでもいいんです。

 

 

【目標は諸刃の剣。目標の欠点は”落ち込む”こと】

 

目標というのは、諸刃の剣です。

目標を上回れたら嬉しいですが、下回ったら落ち込みます。

 

そして多くの場合、下回ってしまった翌日は、下回った分を挽回しようとする。

いつもはプラス1を目指しているけど、プラス2を目指すことになる。

 

そこで運良く挽回できたらいいものの、大体出来ない。 

そして、また落ち込むことになる。

 

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僕の場合は、多くに人に芝居を見てもらうため、お金を稼ぐために、「1日4時間は路上に立つ!」という目標を立てていました。

 

でもそれが1日ダメだと、次の日は5時間、またダメだと6時間、7時間、、というようにドンドン増えていく。

ただでさえ、少し高めの目標として、4時間を設定しているのに、いつの間にか倍ぐらいになっている。

 

そんなのできるわけないから「最近全然ダメだ…」と、落ち込む。

まさに負の連鎖。

 

そして、この”落ち込む”というのが、目標の大きな欠点だと僕は思うのです。

 

 

【”落ち込む”ことは人類最大の敵】

 

先ほども言いましたが、最終的にゴールできれば目標なんて、どうでもいい。

 

そのどうでもいいことである目標達成に喜ぶならまだしも、達成できず落ち込むなんてことは、ムダ以外のなにものでもないんです。

 

ゴールに近付くためにもっとも重要なことは、「継続」です。

 

まさに「"諦めたら"そこで試合終了」です。

 

立ち止まることなく続けてさえいれば、ゴールに辿り着く可能性が消えることは一生ありません。

 

そして、その”継続”の最大の敵が落ち込むことなんです。

 

モチベーションの低下は、おそらく人類に付きまとう最も厄介な問題です。

その最も厄介な問題を、単なる手段であるはずの目標が原因で引き起こしてしまう。

 

ゴールに近付くための単なる手段だったはずの目標が、ゴールに近付く障害になってしまう。

 

こんなムダで、もったいないことってないですよね。

だから、落ち込むぐらいなら目標は低くていいし、持たなくてもいいんです。

 

 

【自分は日々変化する。なのに、目標は日々変化しない?】

 

もちろん、高い目標設定を否定したいわけではありません。

 

少し高めの目標を設定して、それをクリアしていく日々は、とても素晴らしいことです。

 

でもそれは、やれるときにやればいい。

だから、やれないときはやらなくていい。

 

日々の目標は流動的でいいんです。

昨日と今日、一週間前と一週間後で目標はブレていいんです。

 

それは、自分というものは日々刻々と変わっていくものだからです。

 

毎日同じような日を過ごしていたとしても、1日として同じ日はありませんよね。

なのに、目標を設定するときは、それを無視していませんか?

 

「毎日英単語を10個覚える!」みたいなやつはその最たる例です。

僕の場合は、「1日4時間以上路上に立つ!」でした。

 

毎日を同じものとして捉えている。

でもなんか気分が乗らなかったり、よく分かんないけど落ち込んでいたり、本当に色んな日がある。

 

それを一緒くたにして、毎日これをやる!というのは、危険な考え方だと思うんです。

 

 

【基準は目標ではなく、その先のゴールに置く】

 

「英単語を覚える」という目標の先には、「英語の上達」というゴールがあるはず。

だから、どうしても気分が乗らないときは、1個でもいい。

 

「路上に立つ」という目標の先には、「ファンを作る」というゴールがあるはず。

だから、どうしても気分が乗らないときは、1時間でもいい。

 

目標のラインは遥かに下回っているけど、ゴールには間違いなく近付いている。

 

基準は目標ではなく、その先のゴールに置くべきなのです。

 

 

【まとめ】

 

僕はいま、月間の目標は捨てました。

それを意識しすぎて、人生が楽しくなくなったからです。

 

今日も僕は路上に立つでしょう。

路上に実際立たなくても、「家を出よう!」と決心し、その場で立ち上がればオッケーぐらいの、クソ低い目標とともに。

 

昨日は「1人でいいから楽しませたい」という気持ちを常に持ち続けて、結果として4時間やることができました。

 

人間、生きている意味もよく分かりません。

でも死にたくないし、どうせなら楽しく生きていたい。

 

基準をゴールに置くと書きましたが、究極のゴールというのは、楽しく生きることだと思います。

 

毎日を楽しく生きるために、高い目標は必要ないんです。

 

自分がドン引きするぐらいの低い目標で、それを乗り越えたらドン引きするほど褒めてあげましょう。

「路上に立てなかったけど、路上に行こう!と一瞬思ったんだろ?うおお、すごいじゃないか!」と。

 

その上で、最初の言葉を読むと、また違って聞こえてくるんじゃないでしょうか。

 

「目標が、その日その日を支配する」

 

”高い”目標とは、言っていないんですよね。

 

せっかく生きているんでね。

ささやかなことに、ささやかな幸せを感じ、楽しく生きていきたいですよね。

 

 

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