どうも皆さん、こんにちは!路上役者亮佑です!
一昨日と昨日、僕はかなりギリギリの日を過ごしました。
まず一昨日。
やる気が起きない。気持ちが起きない。
前日のブログで、「不振から立ち直るには、結局やるしかないんだ」と、偉そうに書いておきながら、何もやれない。
下北沢まで行ったのに、弱気になり過ぎて、半泣きで彼女に電話。
よしよし、と慰めてもらう始末。
結局、ほぼ何もせず帰る。
昨日も路上に出る前は、かなり気分はネガティブでした。
しかし結果的には、なんとか立ち直りの兆しを見せました。
昨日!
— りょすけ@プロ路上役者 (@ryosukekawai) October 18, 2018
6,137円/4時間(9組19名)
久しぶりにみっちり、ガッツリできた!
組数を増やしていきたい。とりあえず向こう1ヶ月は、データ取る! pic.twitter.com/4gHkoUEdAf
では、一昨日と昨日の違いは何だったのか?
自分なりに振り返ってみると、それは「目標」の捉え方の違いでした。
この2日で、僕は「目標」に対する捉え方を変えたのです。
なので今回は、その目標の捉え方について書いていきたいと思います!
〜目次〜
- 【目標は低く設定しろ】
- 【目標は喜ぶためだけにあるもの】
- 【目標は諸刃の剣。目標の欠点は”落ち込む”こと】
- 【”落ち込む”ことは人類最大の敵】
- 【自分は日々変化する。なのに、目標は日々変化しない?】
- 【基準は目標ではなく、その先のゴールに置く】
- 【まとめ】
【目標は低く設定しろ】
「目標が、その日その日を支配する」
これは、高校野球の名門・横浜高校の渡辺元智前監督の言葉です。
みなさんは目標をどのように設定していますか?
目標って少し高めに設定するものだと思っていませんか?
1日の中で、自分が少し成長できるように、少し大きめの目標を立てる。
「人間は、目標を追い求める動物である。目標へ到達しようと努力することによってのみ、人生が意味あるものとなる」
でも、僕は目標は低くてもいいと思っています。
むしろあえて、低めの目標設定をするべきだと思うんです。
【目標は喜ぶためだけにあるもの】
それは、目標は喜ぶためだけにあると思うからです。
結果として、喜べない目標なら何の意味もない。
目標って、つい高めに設定してしまって、それをクリアできなかったら、落ち込んじゃいませんか?
落ち込むぐらいだったら、目標なんか捨てた方がいいんです。
だって目標は、あくまでその先にあるゴールに近付くためのものだから。
だから、最終的にゴールできれば、目標なんてどうでもいいんです。
【目標は諸刃の剣。目標の欠点は”落ち込む”こと】
目標というのは、諸刃の剣です。
目標を上回れたら嬉しいですが、下回ったら落ち込みます。
そして多くの場合、下回ってしまった翌日は、下回った分を挽回しようとする。
いつもはプラス1を目指しているけど、プラス2を目指すことになる。
そこで運良く挽回できたらいいものの、大体出来ない。
そして、また落ち込むことになる。
僕の場合は、多くに人に芝居を見てもらうため、お金を稼ぐために、「1日4時間は路上に立つ!」という目標を立てていました。
でもそれが1日ダメだと、次の日は5時間、またダメだと6時間、7時間、、というようにドンドン増えていく。
ただでさえ、少し高めの目標として、4時間を設定しているのに、いつの間にか倍ぐらいになっている。
そんなのできるわけないから「最近全然ダメだ…」と、落ち込む。
まさに負の連鎖。
そして、この”落ち込む”というのが、目標の大きな欠点だと僕は思うのです。
【”落ち込む”ことは人類最大の敵】
先ほども言いましたが、最終的にゴールできれば目標なんて、どうでもいい。
そのどうでもいいことである目標達成に喜ぶならまだしも、達成できず落ち込むなんてことは、ムダ以外のなにものでもないんです。
ゴールに近付くためにもっとも重要なことは、「継続」です。
まさに「"諦めたら"そこで試合終了」です。
立ち止まることなく続けてさえいれば、ゴールに辿り着く可能性が消えることは一生ありません。
そして、その”継続”の最大の敵が落ち込むことなんです。
モチベーションの低下は、おそらく人類に付きまとう最も厄介な問題です。
その最も厄介な問題を、単なる手段であるはずの目標が原因で引き起こしてしまう。
ゴールに近付くための単なる手段だったはずの目標が、ゴールに近付く障害になってしまう。
こんなムダで、もったいないことってないですよね。
だから、落ち込むぐらいなら目標は低くていいし、持たなくてもいいんです。
【自分は日々変化する。なのに、目標は日々変化しない?】
もちろん、高い目標設定を否定したいわけではありません。
少し高めの目標を設定して、それをクリアしていく日々は、とても素晴らしいことです。
でもそれは、やれるときにやればいい。
だから、やれないときはやらなくていい。
日々の目標は流動的でいいんです。
昨日と今日、一週間前と一週間後で目標はブレていいんです。
それは、自分というものは日々刻々と変わっていくものだからです。
毎日同じような日を過ごしていたとしても、1日として同じ日はありませんよね。
なのに、目標を設定するときは、それを無視していませんか?
「毎日英単語を10個覚える!」みたいなやつはその最たる例です。
僕の場合は、「1日4時間以上路上に立つ!」でした。
毎日を同じものとして捉えている。
でもなんか気分が乗らなかったり、よく分かんないけど落ち込んでいたり、本当に色んな日がある。
それを一緒くたにして、毎日これをやる!というのは、危険な考え方だと思うんです。
【基準は目標ではなく、その先のゴールに置く】
「英単語を覚える」という目標の先には、「英語の上達」というゴールがあるはず。
だから、どうしても気分が乗らないときは、1個でもいい。
「路上に立つ」という目標の先には、「ファンを作る」というゴールがあるはず。
だから、どうしても気分が乗らないときは、1時間でもいい。
目標のラインは遥かに下回っているけど、ゴールには間違いなく近付いている。
基準は目標ではなく、その先のゴールに置くべきなのです。
【まとめ】
僕はいま、月間の目標は捨てました。
それを意識しすぎて、人生が楽しくなくなったからです。
今日も僕は路上に立つでしょう。
路上に実際立たなくても、「家を出よう!」と決心し、その場で立ち上がればオッケーぐらいの、クソ低い目標とともに。
昨日は「1人でいいから楽しませたい」という気持ちを常に持ち続けて、結果として4時間やることができました。
人間、生きている意味もよく分かりません。
でも死にたくないし、どうせなら楽しく生きていたい。
基準をゴールに置くと書きましたが、究極のゴールというのは、楽しく生きることだと思います。
毎日を楽しく生きるために、高い目標は必要ないんです。
自分がドン引きするぐらいの低い目標で、それを乗り越えたらドン引きするほど褒めてあげましょう。
「路上に立てなかったけど、路上に行こう!と一瞬思ったんだろ?うおお、すごいじゃないか!」と。
その上で、最初の言葉を読むと、また違って聞こえてくるんじゃないでしょうか。
「目標が、その日その日を支配する」
”高い”目標とは、言っていないんですよね。
せっかく生きているんでね。
ささやかなことに、ささやかな幸せを感じ、楽しく生きていきたいですよね。
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