俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

謙虚と傲慢を両立させる

 

どうも!路上役者亮佑です!

 

僕は極端でわかりやすいことが好きです。

筋が通っていて、ブレない生き方はカッコいいと思います。

 

だけど、「謙虚」と「傲慢」に関しては、

ときに謙虚で、ときに傲慢な、

中途半端で、どっちつかずで、ブレブレな人間でありたいと思っています。

 

僕は以前、謙虚と傲慢という対立する二つのものを、

うまく使い分けることなどできなかったので、

極端にどちらかに全振りしていました。

 

でもどちらも経験してやっぱり、特に表現者には、

謙虚にならないといけない瞬間もあるし、

傲慢にならないとやってらんない瞬間もあると感じたのです。

 

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〜目次〜

 

 

 

【謙虚全振りペコペコ時代】

 

役者を始めて間もない頃、

そして路上を始めて間もない頃。

 

右も左もわからない駆け出しのときに、

確固たる軸を持つことは、かなりムズイ。

 

悩む男の子のイラスト

 

だから多くの人が最初は「勉強しよう。教えてもらおう」と、

養成所に入ったり、レッスンを受けたりするわけですね。

 

しかし、自分に軸がないために、

この時代は、「他人の意見は全て聞く」になりがちです。

 

僕はこの時代、他人の意見を「分かりました。分かりました」と

ただペコペコして聞いているだけだった。

 

そんな謙虚全振りペコペコ時代には、

2つの大きな欠点があります。

 

♢謙ペコの欠点①「何者でもなくなる」

 

他人の意見なんていうのは、100人いれば100通りあります。

 

だからそのうち、ある人には良いと言われたところなのに、

ある人には悪いと言われるといったような、正反対の意見に直面します。

 

そのときに、どちらかを無視する選択肢を持っていないと、

「どちらにも悪いと言われないような、最も中途半端な選択」をせざるをえません。

 

自分の軸を持てていない、謙虚ペコペコ時代は、

「良いと褒められるための積極策」よりも、

「悪いと言われないための安全策」を取りがちです。

 

アンチがいない人にはファンがいないように、

芸において、誰からも悪いと思われないような表現は、誰からも良いとも思われません。

 

そして、結果として「何者でもなくなる」

 

何者でもなかったこの時代、辛かったなぁ。

表現者として、これ以上辛いことはないですね。

 

♢謙ペコの欠点②「自信の無さがバレる」「やっていてつまんない」

 

他人の意見を全て受け入れているときは、自分の評価軸を持っていないので、

自分の評価を他人に任せてしまっています。

 

他人が良いといえば良いし、悪いといえば悪い。

 

でも評価は、事後的な結果論でしかないので、

答えはやった後にしかわからない。

 

やった後にしか答えがわからないと、やっている最中は不安で仕方ないんですよね。

”どう見えているか”が気になって仕方ない。

 

そしてその不安や自信の無さは、嘘のつけない舞台上では必ずバレるし、

他人の評価にビクビクしながら芝居をしているとつまんないんですよね。

 

 

何かと謙虚は賞賛されるし、

「常に謙虚でいるべきだ!」なんて言葉は、

見飽きたぐらいにそこら中に溢れてる。

 

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だけど、謙虚ペコペコ時代を経て、謙虚に飽き飽きしていた僕は、

この謙虚バンザイ定説を無視することにしました。

 

そして訪れたのが、真逆の傲慢全振りオラオラ時代です。

 

 

【傲慢全振りオラオラ時代】

 

この頃、路上で褒められ始めたこともあるし、

常に謙虚でいても、自信がなくなり、やっていてつまんない瞬間が多くあったので、

極端な僕は、傲慢に全振りします。

 

この時代は、まじで「他人の意見はフルシカト」です。

「フルシカト」なんて、オラついてますね。

 

ほぼ100%、何も聞き入れない。

ダメ出しは全て無視し、良い評価のみドヤ顔で受け付けます。

オラついてますね。

 

これはこれで、やっていて楽しいし、

変に卑屈にもならないし、何よりめちゃくちゃラクです。

 

しかしこの傲慢全振りの何よりの欠点は、

自分の力でしか成長できないこと。

 

他人の意見というのは、成長への貴重な糧となります。

 

それを全てシャットアウトすると、当然、成長のスピードも鈍くなる。

 

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自信がなくなったり、誰にも好かれなかったりということはありませんが、

成長という観点からすると、他人の力を借りない傲慢全振りは、やはり得策とは言えませんでした。

 

 

【ごちゃ混ぜブレブレ時代】

 

謙虚と傲慢に全振りした時代を過ごして、

僕は表現者というのは、謙虚になる必要もあれば、

ときに傲慢になる必要もあると思いました。

 

 

やはり、自分が成長するためには、他人の意見に耳を傾けることは必須です。

 

傲慢だと、他人の意見を聞き入れることはできないので、

その意味では、謙虚でいる必要があります。

 

しかし、表現者は謙虚であってはいけないときもあると思うのです。

ときに傲慢にならなければいけない。

 

その傲慢にならなければいけないときというのは、表現している最中。

つまり、舞台上です。

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舞台は特別な場所。

 

少し油断をすれば、弱気になってしまったり、

不安に押しつぶされてしまう。

 

生半可な覚悟じゃ、平常心で舞台に立つことなんてできない。

 

そんな舞台上では、「俺は世界一。俺の良さをわかんねえ奴は全員クソ」ぐらいの傲慢さを持っていないとやっていけない。

 

普段は謙虚な姿勢を忘れないとしても、

表現している最中は、傲慢に全振りする。

 

今の自分の芸が、未熟だと認める心を持ちながらも、

絶対的な自信を持つ姿勢も失わない。

 

謙虚であるべきときに謙虚でいられ、

傲慢であるべきときに傲慢になれる。

 

対立した意味の言葉だけど、謙虚と傲慢を両立させる。

 

 

謙虚なのか、傲慢なのか。

 

どちらか一方ではなく、

中途半端で、どっちつかずで、ブレブレ。

 

僕は、そんな人間でありたいと思います。

 

 

 

 

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