俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

衝動が心を動かす

 

衝動に従って生きている人って、素敵だなぁって思います。

 

「これがやりたいんだ!」という衝動です。

赤ちゃんはいつだって、衝動にまっすぐです。

 

お腹が空けば泣くし、不機嫌だったら泣くし、目の前にピーマンがきたら泣きます。

僕だって、お好み焼きに青のりを勝手にかけられて泣いていました。

 

大人になるにつれ、衝動を抑え込むことを学びます。

行きたくない学校に行かされ、先生にはノーと思ってもイエスと言わされ、親には嫌だと言っても「嫌じゃない!」と怒られます。

 

衝動を抑え込むことが板についてきた20歳の頃、僕は芝居を始めました。

 

芝居では、衝動に従うように指導されます。

 

嬉しいシーンでは喜び、悲しいシーンでは悲しむよう言われます。

 

今まで生きてきた人生とは、真逆のことを要求されます。

当然、なかなか上手くいかない。

 

だからこそ、大人になっても衝動に従って生きている人が魅力的に見えるのかなと思います。

衝動が心を動かす


西荻窪での出会い】

 

9月7日、西荻窪

いつものように路上を始めました。

開始早々に、一人のお姉さんが立ち止まってくれました。

30代の方で、20代の頃には芝居の勉強をしにアメリカへ留学した経験もあるそうです。

 

一度は芝居の道を諦めて働くも、数年経ってもやはり諦めきれず、3週間前に25分にも及ぶひとり芝居の動画(なんとワンカット一発撮り!)を、自らカメラマンやディレクターを雇った上で撮影したそう。

 

めちゃくちゃ凄いなと思いました。

 

僕は、このお姉さんのように、平日はフルタイムの仕事をこなしながら、休日を使って演劇をやっている社会人俳優の方に、たくさん路上で出会ってきました。

そのたびに思うんですが、社会人俳優って本当に凄いなと思います。

 

週5日8時間みっちり仕事して、時には残業や持ち帰りで仕事して、週2日しかない休日を使って芝居をする。

普通、たまの休日くらい休みたいし寝たいし、ゆっくりしたい。

でも、そうじゃなくて、そんな貴重な休みの時間を使って、芝居をする。

 

よほど好きじゃないと、絶対にできない。

 

辞めようと思っても、辞められない。

こういう衝動に従って生きている人はとても魅力的で、こういう衝動こそ表現すべきだと思うのです。

 


【衝動こそ心を動かす源になる】

 

僕は、人の心を動かすためには、まずは圧倒的な技術が必要になると、ずっと思っていました。

自分が感動した役者さんはみんな、圧倒的に技術が高かったからです。

 

しかし、一握りの天才を除いて、技術を習得するためには、努力が必要になります。

そして、努力をするためには、根底に想いが必要になる。

 

圧倒的な技術を習得するためには、圧倒的な努力が必要で、圧倒的な努力をするためには、圧倒的な想いが必要。 

 

おそらく、圧倒的な技術を持っている人はみんな、根底に圧倒的に強い想いを抱えています。

 

こう考えると、人は、表面的な技術に感動しているというより、その根底にある想いに感動しているのではないか。

 

技術は表面的なもので、想いは根源的なもの。

そして、想いとは「これがやりたいんだ!」という衝動です。

 

だから、技術が足りていないということは、想いが足りていないのか、衝動がないのか、衝動が表現できていないのか、のどれかです。

 

西荻のお姉さんは、僕のことを褒めてくれましたが、僕はそんなお姉さんの根底にある想い・衝動に大きく心を動かされました。

 

でも、「これがやりたいんだ!」という衝動に従っていると、社会的には生きていけません。

 

衝動に従うのではなく、衝動を抑え込むことが大人になることであり、社会に適応することだからです。

 

大人になったのに、嫌なことがあるたび、衝動に従い、赤ん坊のようにワンワン泣いてたら、白い目で見られる。

仕事に行きたくないって日がくるたび、衝動に従い、仕事に行かなかったらクビになる。

 

衝動は、抑え込めるようにならないと大人になれない。

 

でも僕は、衝動を表現したい。

「俺はこれがやりたんだ!」という衝動。

 

難しいですね。

 

舞台では、衝動に従うことを要求されます。

嬉しいシーンでは喜べって言われるし、悲しいシーンでは悲しめって言われる。

 

俳優の世界では、これが出来ない奴は、評価されない。

衝動に従えない奴は、評価されない。

 

社会では逆。

衝動を抑え込めないと、評価されない。

人間として見られない。

 


【下高井戸での出会い】

 

そんなことを考えていた、昨日9月29日、下高井戸。

あるカップルに出会いました。

 

『大変、申し訳ございました』という演目をやったんですが、観た後にとても嬉しい言葉を頂きました。

 

「なんか、感動しちゃいました」

 

とても嬉しくて、生きててよかったなと思いました。

 

これは、芝居が伝わったというより、芝居を通して想いが伝わったのかなと思えました。

 

『大変、申し訳ございました』という演目は、コメディタッチの芝居です。

ストーリー的には、感動する演目ではありません。

 

なのに、感動したという感想をもらえたのは、想いが伝わった証なんじゃないかなと自惚れています。

 

やりたいことをやりたいようにやる、という衝動に従った結果、少しだけ心を動かせたのかもしれません。

 

路上では、社会という名の通行人から時々白い目で見られつつ、これからも、衝動に従って生きていきたいと思います!

 

 

 

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