俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

今後のこと〜全てを懸けた挑戦の結果は「振り出しにもどる」だった〜

 

お久しぶりです!路上役者亮佑です!


12月のひとり芝居『絶唱』以来、ほぼ音沙汰なくてすみません!

 

ようやく今後の方向性を伝える準備が整ったので、書きました!

路上芝居の写真上に、タイトル・全てを懸けた挑戦の結果は「振り出しにもどる」だった

 

 

今後の方針たち

《結論》

 

2023年の一年間、予定を合わせて会った友達が1人だけの僕。

 

話が長いから嫌われてるのかもしれないと、最寄りのドンキホーテで思ったので、結論から言います。

 

今後は「自作のひとり芝居」をやっていきます。

 


《今後の路上は?》

 

路上の形も今までとは変え、15〜20分の中編のひとり芝居をやっていきます。

 

今までは、2〜3分の短編をやってました。

 


《まず目指すこと》

 

今までとは違う形の路上で結果を出すこと。

 

具体的には、8年前に諦めた「一度に20〜30人を立ち止まらせる」ことを目指します!

 


《そのために今していること》

 

自作の15〜20分の新しいひとり芝居を作っています!

 

現時点でどれほど順調に進んでるかというと、作ろうと決めてから2ヶ月。

ようやく1ページ目の1文字目が書き始められそうです。

 


《新作路上1発目》

 

3月31日(日)17時より新宿駅南口でやります!

 

まだ脚本なーんにもできてないので、本当はやりたくないです。

失敗することは目に見えてるので、本当にやりたくないです。

 

やりたくないなら、やんなきゃええやん。

なんて言わないでください。何も言えなくなります。

 

でも、やることだけは約束します!

人生で一番低クオリティの演劇を観れるレア回になるかもしれないので、ぜひ来てください!

 


結論に至った理由たち

 

僕の中で引退を考えた『絶唱

2023年12月のひとり芝居『絶唱』の一幕

終わった直後も、もちろん辞めることも選択肢の一つに入れた上で色んなことを考え、上に書いたような結論にたどり着きました。

 

まず、

《なぜ「自作のひとり芝居」なのか?》

ですが、理由は2つあります。

 

「本当に自分のやりたい表現をやりたい」ことと「極限の状況で自分の力を試したい」ことです。

 

本当に自分のやりたい表現をやりたい

 

12月のひとり芝居『絶唱』は、僕の全てを懸けました。

情報公開からの3ヶ月は、人生で一番頑張った3ヶ月でした。

 

でも、手応えが全くなかった

本当に1ミリの手応えもありませんでした。

 

その理由を考え続けた結果、「自分で脚本を書かなかったこと」が一番大きな理由だと思いました。

 

舞台作品において、一番の土台は脚本です。

脚本が作品に関わる全ての者にとっての羅針盤になるし、脚本がなければ、スタッフもキャストも誰も仕事を始められません。

 

その土台を自分以外の人に任せたこと。

これが、手応えがなかった1番の理由だと思いました。

 

でも、絶対に勘違いして欲しくないのは、『絶唱』の脚本家を責めたり、任せたことを後悔しているわけでは全くないということです。

 

あの選択は、間違いなくベストだったし、1ミリの後悔もない、紛れもなく最善の選択だったと、心の底から自信を持って言えます。

 

でも、今後続けていくのであれば、作品の土台を他人に任せず、自分でやりたい。

そしてそれは、終わった今だからこそ思うことで、やってみて初めて感じたことです。

 

たとえ、『絶唱』の脚本家が三谷幸喜であれ、宮藤官九郎であれ、シェイクスピアであれ、同じことを思ってた。

 

出演だけでなく、作品の土台も自分で担った上で勝負したい。

そう思ったので、今後は自作のひとり芝居で勝負しようと決めました。

 

 

極限の状況で自分の力を試したい

 

12月のひとり芝居『絶唱』は「もしかしたら、役者を辞められるかもしれない」という希望を抱いてました。

 

僕は、辞めることをすごくポジティブに捉えてます。

 

舞台という世界、特に小劇場の世界には、惰性で、ずーっと同じようなことを、なんとなーく続けてる人がたくさんいます。

 

これは、舞台を始めた当初から抱いていた疑問でした。

 

「この人、ずーっと同じような続けてて、それでいいんかな?」

 

でも、ここ数年、その疑問が自分に向いていることに、僕は気づかないフリをしていました。

 

俺は違う、と。

 

でも実際は、自分も「ずーっと同じようなことをなんとなーく続けてる人」だったんですよね。

 

こんな惰性で続けてるぐらいなら、辞めたほうがいい。

 

「辞めたくない」という理由で続けるならまだしも、辞める覚悟がないだけで「辞められない」だけなら、今すぐ辞めろ。

 

自分自身に対して、ずっと突き刺さってた言葉です。

 

でも、辞められない。

じゃあ、どうしたら辞められるんだ…?

 

その答えは、「やり切ること」でした。

 

自分の全力を120%出し切って、全てを懸けてぶつかった上で結果が出なかったら、

「あんだけやってダメだったんだから、もう無理だ!やーめよっ♪」

って思えるんじゃないか。

 

つまり、自分はまだやり切れていないんだ、と。

 

じゃあ、何をしたら「やり切った」と思えるんだ?

逆に言えば、もしいま辞めたとしたら「やっておけばよかった…」と後悔するものはなんなんだ?

 

その答えが「劇場でのひとり芝居」でした。

つまり、去年12月の『絶唱』でした。

2023年12月のひとり芝居『絶唱』の一幕

 

だから、自分の全てを懸けてやり切った。

 

でも待っていた答えは、全く無い手応えでした。

 

だけど、もし、自分で脚本を書いたら。

 

作品の土台である脚本を自分で書き、出演も自分のみ。

その形でもし結果が出なかったら、なんの言い訳もできない。

役者にとって、極限の状況です。

 

その極限の状況で、全力を120%を出し切れば、手応えを得られるんじゃないか。

逆に、手応えを得られなかった時は「あんだけやってダメだった!やーめよっ🎶」となれるんじゃないか。

 

そんな「極限の状況で自分の力を試したい」と思ったことも、自作のひとり芝居で勝負しようと思った大きな理由です。

 

 

《なぜ路上の形を変えるのか?》

 

一言で言えば、「新しい景色を見たいから」です。

いきなりサッカー日本代表みたいなフレーズが出てきてワケわからんと思います。説明します⚽️

「新しい景色」と書かれた日本サッカー協会のスローガン画像


絶唱』は、全部で235名の方が来てくれました。

大半が路上でのひとり芝居やビラ配りをきっかけに出会った方です。

 

もっと時間をかけてやれば300や400、死ぬ気でやれば500はいけるだろうなという確信があります。

 

でも、こういった「やればできるだろうな」と思えることをやっても面白くない。

 

そうじゃなくて「こりゃ無理だろうな」と思うことをやれるようになりたい。

 

やっぱりミスチルが言ってることは正しくて、高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいです。

 

誰かのなんかの本に書いてあった「自分の思い込みが、目の前の現実によって壊される瞬間」が一番楽しい。

 

8年前、路上に初めて立った時。

自分の表現でお金なんか取れないと思い込んでた。

 

でも「楽しませてもらったから」と言って財布の中の小銭を全てくれた人がいた。

265円という金額は、8年経った今でも明確に覚えてます。

 

そんな思い込みが目の前の現実によって壊される瞬間は、他の何にも変えられない高揚感を味わえる。

それこそが、僕の最高の楽しみであり、最上の贅沢です。

 

でも、いまやっていることの延長線上には、想定内の結果しかない。

想定外の結果を得て、最高の高揚感を味わいたいなら、今とは違うことをしないといけない。

 

それが、新しい形での路上芝居なんです。

 

古い形、今までの路上芝居の形は「呼び込み型」でした。

 

ただひたすら通行人に対して、

「ひとり芝居1分だけ見ていきませんかー!」

と声をかけ続け、誰か立ち止まってくれたら、その時に初めて2〜3分の芝居をする。

 

8年やってきて、このやり方の限界はさすがに見えてきた。

だから、これからは「路上ライブ型」に挑戦したい。

 

路上シンガーが誰一人客がいなくても、ただひたすら歌い続けるように、僕も客がいない段階からひたすら全力で演じる。

 

そして、実力のある路上シンガーのように、何十人もの人を魅了したい。

 

実はこのやり方は、8年前に挫折した形です。

 

「路上ライブ型」が無理だったから、「呼び込み型」にせざるを得なかった。

 

つまり、僕の全てを懸けた12月のひとり芝居の末に辿りついた結論は、「8年前にもどる」=「振り出しにもどる」でした。

 

僕の一世一代の全てを懸けた挑戦の結果、出た目が「振り出しに戻る」

 

でも、人生とはそういうもんなんかなという思いもあります。

 

振り出しに戻ったという意味では、8年前からなんも進歩してない。

ただ、8年信じた道を進んできて「こっちの道には何もなかったよ!」ということだけはわかった。

 

時間はたくさんかかっちゃったけど、それは大きな大きな違いだと思います。

 

新しい景色を、自分のみたい景色を見るために、行ってみないとわからない道を進み続ける。

人生とはそういうもんなのかなと思います。

 

閉ざされたドアの向こうに 新しい何かが待っていて

きっと きっとって僕を動かしてる

 

いまの僕は、そんな感じです。

わかったことは、やっぱミスチルは最高だってことです。

www.youtube.com

 

おわりに

 

8年前に挫折した路上ライブ型のひとり芝居。

これで、一度に何十人という人を魅了したい。

 

これができたら凄い。まじで凄い。

 

今の時点では「こりゃ無理だろうな」と思ってる。

99.9%無理。

でも、だからこそ挑戦したい。

だからこそ、一番ワクワクする。

 

無理と思えるからこそ、成し遂げた時の景色は、間違いなく今まで見たことのない新しい景色になる。

 

僕は、俳優人生を終わりなき旅だとは思ってません。

心の底からやり切ったと思えて辞められる日がきたら、それは最高に幸せなこと。

だから、毎年毎年、終わりを目指して全てを懸けたい。

 

そんな切羽詰まった生き方が、表現が、僕はとても好きです。

 

選んだこの道の先にゴールがあるのか、また振り出しにもどるなのかはわからないけど、やっぱり人生ゲームはワクワクした気持ちでやらないと。

 

もし気が向いたら、そんな僕のプレイを覗きにきてください!

 

〜〜〜

 

ちなみに、この最後の「プレイ」には、人生ゲームを「プレイ」すると、

「PLAY=演劇、芝居」の二つの意味が掛かっています。

 

たぶん誰も気づかないので、自分から明かしました。

恥ずかしいです。

 

読んでくれてありがとうございました!

よろしくお願いします!

踊る路上役者

 

 

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