ストレートに結論から言うと、
「脚本力」だと思うんですよね。
脚本を書くのって、ほんとに難しい。
俳優が「演技力」だけで勝負できるようになれば、もっと"勝てる"役者が生まれやすくなると思っています。
〜目次〜
- 【「演奏力」だけで勝負しているオーケストラ】
- 【「歌唱力」だけで勝負できている歌手】
- 【「演技力」と「脚本力」で勝負しなきゃいけない役者】
- 【もし、演技力と脚本力を分離できたら起こること】
- 【経験者は同業と比べ、素人は己と比べる】
- 【おわりに〜脚本力を分離するために〜】
【「演奏力」だけで勝負しているオーケストラ】
昨日、オーケストラのコンサートに行きました。
「自分たちの音楽でお客さんを楽しませる」というたった1つの目標に、30人ぐらいが一丸で挑んでる感じが、めちゃくちゃ好きなのですが、
「オーケストラって、"演奏力"だけで勝負できてるな」
と、思いました。
オーケストラって、自分たちで曲作ったりしないですよね。
だいたい、チャイコフスキー第2番ト短調的な「名曲を借りてくる」。
曲を借りてくることによって、自分たちは自分たちが得意な演奏にフォーカスできるし、演奏の技術だけで勝負できる。
つまり、オーケストラって、いかに上手く奏でられるかという技術力、
楽器の「演奏力」だけで勝負できている。
だから、「あのオーケストラは、演奏はいいけど、曲がいまいちだ」みたいなコメントがつくことはない。
作曲と演奏を分離してるので、「作曲」にかかる労力を丸ごとカットしてるんですよね。
【「歌唱力」だけで勝負できている歌手】
同じことが、カバー曲を唄う歌手にも言えます。
カバー曲を唄うと、どんなメリットがあるかと言うと、
「歌は上手いけど、曲がイマイチだね」という「作曲力」を分離することができる。
つまり、単純な「歌唱力」だけの勝負に持ち込める。
そういう意味で、「歌唱力」「作曲力」「作詞力」の総合力で勝負しなきゃならないシンガーソングライターはキツイですが、
シンガーソングライターも、いきなりハードルの高いオリジナル曲ではなく、「最初はとりあえずカバー曲唄おう」という選択もできるメリットが、歌手にはあります。
【「演技力」と「脚本力」で勝負しなきゃいけない役者】
役者はどうだろう、という観点で見ると、気軽に「演技力」だけで勝負できる手段はなかなか見当たらない。
「自分1人で演技をしよう」と考えた場合、必ず「脚本」が必要になるので、「演技力」と「脚本力」を合わせて勝負しなければならない。
これは、けっこうなハードルです。
「演奏力」と「作曲力」を分離して勝負しているオーケストラや、
「歌唱力」と「作詞・作曲力」を分離して勝負できている歌手とはちがって、
「演技力」と「脚本力」を分離できないので、二つの力で勝負しなきゃならない状況になっている。
脚本は一日二日で手軽にできるものではないので、「気軽に演じる」ための大きな障害になってしまうんですよね。
【もし、演技力と脚本力を分離できたら起こること】
もし、「演技力」と「脚本力」を分離できたら、
「すごい役者さんってたくさんいるんだなぁ!」
という、埋もれていた千両役者の発掘が起こるんじゃないかと思っています。
僕は、路上で芝居をしていて、「面白くない」と言われたことは、リアルに300回ぐらいあるんですが、「芝居が下手」と言われたことは、ほとんど無いんですよね。
「オチは微妙。芝居はすごい上手いけど」
と言われることが、本当によくあります。
僕の演技力は、役者として鳴かず飛ばずな現状を見れば分かると思いますが、「並」レベルです。
僕より、上手い役者さんは、腐るほどいる。
でも、役者界では「並」の実力だとしても、外に飛び出してみると「すごい上手い」レベルまでいくんですよ。
【経験者は同業と比べ、素人は己と比べる】
こんな僕でも、「お兄さん、芝居すごく上手いね」と褒められる理由は、
「生で芝居を見てことある人が少ない」ところにあると思っています。
そのことを実感する出来事が、イベントでダンサーの方とご一緒したときにありました。
「自分なんて本当に全然ヘタクソですよ…」
と、そのダンサーの方は終始、自信なさげな表情と言葉を浮かべていました。
でも、僕がリハーサルでその方のダンスを見たら、
「すげぇっ!俺なんか絶対あんな動き出来ない!」
と思えるほど、めちゃくちゃ上手かったんです。
だから、そのことを伝えたら、
「いや、僕より上手い人なんかたくさんいるので…」
と、言われました。
この言葉を聞いたときに、僕はなぜ彼が自信を持てていないのかが分かったような気がしました。
彼は、ひたすら「同業者」と比べていたんですよね。
しかも、ただの同業ではなく、「自分より上手い」同業者。
比較の基準が、「自分より上手い人」にあるんだから、当然「自分は上手い」という考え方にはならない。
一方、なぜ僕が彼のダンスを上手いと思ったかと言うと、
比較の基準が「自分」だからです。
僕はダンスがてんでダメなので、「自分には絶対できないことを出来てて凄い」となるわけです。
彼はずっとダンス界にいるので、色々なダンサーを見てきていますが、僕はその世界に縁がなく、情報も無いので、そもそも比較対象がない。
だから、自分と比べる。
なので、たとえ本当に彼が下手くそだとしても、僕にはめちゃくちゃ上手い人に見える。
僕の並レベルの芝居が、路上でやたら褒められるのも同じ理由だと思っていて、
僕が自分の芝居を並だと思っているのは、僕が演劇界にいて、「自分より上手い役者はたくさんいる」という情報を持っているから。
でも、生で芝居を見たことが無いような、その世界にいない人たちは、比較対象を持っていないので、自分と比べる他ない。
なので、「これは自分にはできない!凄い!」となる。
経験者は同業と比べますが、未経験の素人は自分と比べる。
だから、「演技力」って案外、とても褒められやすいし、本当はすごく勝負しやすいし、評価されやすいものなんじゃないかなと思うのです。
【おわりに〜脚本力を分離するために〜】
ただ、難しいのは脚本で、
脚本に関しては「自分にできるか否か」というより「好きか嫌いか」になってしまうので、とても難しい。
歌に関しても、「歌が上手いかどうか」と「曲が好きかどうか」は違う。
「歌いたい!」と思った歌手は、誰かから曲を借りれば、今すぐにでも路上で歌い出せるけど、
「演じたい!」と思った役者は、「何を演じようか?」から入らなきゃいけない。
これは、俳優が気軽に演じるのを阻む大きなハードルです。
だから、役者が「演じたい!」と思ったら、映画やドラマに出るか、舞台に出るしかない。
映画やドラマは、役者が出るハードルが高いし、舞台は、お客さんが見るハードルが高い。
だから、「全然知られてないけど、めちゃくちゃ上手い」という役者さんが溢れてる。
歌手が「作曲力」を分離して、「歌唱力」だけで勝負できるように
役者が「脚本力」を分離して、「演技力」だけで勝負できるようになれば。
絶対世の中に評価される役者が、もっと"勝てる"役者が生まれると、僕は思っています。
最近、試験的に落語や海外の小咄など、「原作があるもの」を題材に路上で演じてみてます。
苦手な脚本を借りることによって「演技」と「脚本」を分離したいからです。
とりあえず次は、一人芝居の第一人者であるイッセー尾形のひとり芝居でも丸パクリして路上でやってみようかなと思ってます。
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