俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

思い出して、忘れて、また思い出して、成長する

 

相変わらず、せっせと路上ひとり芝居に勤しんでいる僕ですが、

1月の下旬、めちゃくちゃスランプでした。

 

二流がスランプというのも気が引けますが、間違いなく不調。

見てもらえないし、見てもらえても、ほぼほぼウケない。

 

そして、何より深刻だったのが、やっていてつまらない

 

つまらなさそうな表情の犬の銅像

 

1月の最終週、ようやく不調を抜け出すキッカケをつかみました。

 

変えたのは「気の持ちよう」だけです。

ザックリ言うと、ないものねだりから、あるもの感謝に変えました。

 

それだけで、楽しくなる。

楽しければ、笑顔でいれる。

笑顔は、人を寄せ付ける。

そして、笑顔は人を楽しませる。

 

 

9日間。20011円。31時間。50組。

3日間。19218円。13時間。32組。

 

これが「スランプ期」と、「抜け出したかな期」の違いです。

 

スランプ期の31時間で50組。けっこうキツイ。

平均して1時間で2組見てもらえない。けっこうキツイ。

泣きそうになる、とても。

 

スランプ期の僕は、「きっと見てくれる人はいる」という気持ちで、ただ続けるだけ。

「きっと僕を評価してくれる人がいる」という気持ちで、ただ演じるだけ。

 

曲がりなりにも、路上芝居で2年近く生活してきたという自信にすがり、「1日に5時間やれば、絶対誰かしらいい人に会えるでしょ」という気持ちで、ただ立ち続けてました。

 

でも、つまんなかった。めっちゃつまんなかった。

 

何が自分に足りないのか?考え続けた。

もっと路上で立ち止まってくれる人がいれば。

もっと俺に技術があれば。

もっとカネがあれば。

気楽にできて、楽しくなるかもしれないのに。

 

でも、ふと思った。

 

「それ、5年前からずっと思ってるわ」

 

だから僕は、カネや技術や人脈など、いま自分が持っていないものではなく、いま持っているものに目を向けようと思った。

 

路上を3年続けて鍛えられたメンタルがある。

技術も無いことは無い。

カネは十分あるってことはおそらく一生無いから、もうどうでもいいや。(欲しいけど)

 

そしたら、気が楽になった。

足りないかもしれないけど、今だって昔に比べたら、色々なものを手に入れてきた。

 

応援してくれる人、自分を評価してくれる人、俺の芝居が好きだと言ってくれる神、今まで出会った人が、今も自分のことを応援してくれている人が、頭に浮かんだ。

 

全てが満ち足りている完璧な状態なんて、たぶん一生こなくて、どんなときもきっと何かが足りてない。

 

だったら、足りてないことに目を向けて落ち込むんじゃなくて、足りないことを「俺、まだまだだな!」と豪快に笑い飛ばしながら、ポジティブに進む方がずっと楽しい。

 

きっと、自分のことを応援してくれている人も、そのほうが応援のしがいがあるんじゃないかな。

そうも思った。

 

だから僕は、いま自分の周りにいてくれている人、いま自分が持てているものに感謝をしてから、とりあえず「ガッハッハ」と意味もなく爆笑して、路上を始めた。

 

そんなことをしたら「抜け出したかな期」の結果が出た。

 

不思議なもので、自分が勝手に楽しんでいると、明らかに芸をしたときの反応が変わるんですよね。

 

いつも、70cmぐらいの距離で芝居を見てもらうので、手に取るようにわかる。

 

まぁ、それでもダメなときはダメですが。

そんなことは「まだまだですね!次こそは楽しませるので、またお願いします!」と言って笑い飛ばしながら、次は芸で笑いを取れるように頑張るしかないわけです。

 

「他人を楽しませるためには、まず自分が楽しむ」

 

小手先の技術よりも、

長い年月を経て培ってきた経験よりも、

パッと出の素人が1秒後に実行に移せるようなことだけど、一番大事なこと。

楽しませるためには、楽しむ。

 

忘れてた。

何回か、思ったことあるのにな。

思い出して、忘れて、また思い出して、何とか成長していきます!

 

 

 

路上役者亮佑のTwitter路上役者亮佑 | Twitter

 

路上役者亮佑のFacebook路上役者亮佑 | Facebook

 

路上役者亮佑のInstagram路上役者亮佑 | Instagram