ヘタクソ役者必見!僕が見たこともないあなたの芸を価値があると”断言する”4つの理由
どうも!路上役者亮佑です!
路上芝居をやっていると、よく役者の人にも声をかけられます。
そこでとても多いのが、「僕はまだ下手くそなんで…」という言葉。
しかし最初に言っておこう。
俺も下手くそだ。
「下手くそ」「まだまだ」「絶対売れない」と、言われた回数は誰にも負けない自信があるゾ。
だからこそ、「下手くそなんで…」と謙遜する役者たちに言いたい。
その考え方は今すぐ捨てろ!
「上手いか下手かは関係ないから」といつも僕は言っていますが、僕が関係ないと思う理由、つまり下手くそな芸でも価値があると”断言する”理由について、今日は書いていきたいと思います!
〜目次〜
①全員に嫌われることは不可能
まず一つ目。
「僕はまだ下手くそなんで…」という言葉の裏には、「下手くそだから、評価してもらえるような、価値がある芸は披露できない」という考えが隠れていますね。
だが、そんなことは100%ない。
ではまず、あなたが「こんなふうになりたい」と憧れている俳優や上手いと評価されている俳優を思い浮かべてみましょう。
その俳優はたしかに、社会的名声があり、技術も認められているかもしれない。
でもその俳優だって、目の前に100人の人がいたら、その100人を一人残らず自分のファンにすることは不可能です。
どんなに上手い俳優だって「アイツは評価されているけど、俺は好きじゃない」という奴は必ずいる。
かくいう僕も、「友達が批判していたから」というしょうもない理由で、一時期妻夫木聡が嫌いになった。
「アイツは月並みの芝居しかできねえ」と月並みの芝居も出来ない自分が、薄っぺらい批評をドヤ顔でしていた。
しかしこの、「100人いたら100人に好かれることは不可能」という事実は、僕ら下手くそに強烈な希望を与えてくれる。
なぜなら「100人いたら100人に嫌われることも不可能」という事実を提示してくれているからだ。
嫌いな芸能人にランクインしている人にはみな、裏には熱烈なファンがたくさんいる。
逆に言えば、好感度高い人にも必ずアンチがいるわけで、まさに好かれることと嫌われることは表裏一体。
僕は路上を始めたばかりのときは、コントをやっていて、無勉強・未経験・完全独学だったけど、それでも「面白い」と言ってくれる人は、わずかながらいた。
逆に、自分の全力で100人に芸を披露して、誰からも「よかった」と言われない方が奇跡だろう。
全員に嫌われることは不可能なんだ。
だから、あなたの芸に価値がないなんてことはありえない。
絶対に、必ず、誰かがあなたを好きになってくれる。
②この世に価値がないものなんてない
先日マクドナルドでブログを書いていたら、隣におばちゃんが座った。
そのとき近くで「三茶DE大道芸」という、路上で何組もの大道芸人が芸を披露するイベントが行われていた。
その話の中でおばちゃんは「中には、これでカネ取るの?ってものもあったねぇ〜」と言っていた。
おばちゃんはその芸に価値がないと判断しているが、果たしてそうだろうか。
僕は、この世に価値のないものなんてないと思っている。
あるのは、価値を”分からない人”と”感じない人”だけだ。
例えば、僕のようにパクチーが嫌いな人は、パクチーを買わない。
それはパクチーに価値を”感じない”から。
僕は絵をタダであげると言われても断る。
それは、絵の価値を”分かっていない”から。
もしそれがピカソの絵だったとしても、僕は絶対気付かない。
食品や雑貨などの形あるものには、「これでカネ取るの?」という批判は出てこない。
でもそれが形のない芸事となると、途端に「これでカネ取るの?」という批判が出てくる。
僕だって、「カネは払えないな」と言われたことなんて、数え切れないぐらいある。
でも、気にすることはない。
パクチーが幾度となく「嫌い」という言葉を浴びながらも、独自の市場を切り開いて売れていったように、僕たちも批判なんか気にせず、自分の道を歩めばいいだけだ。
誰かからの「嫌い」や「カネは払えない」の一言は、あなたの芸に価値がないことを意味しない。
誰かにとっては価値があり、誰かにとっては価値がない。
それだけのことだ。
この世に価値が無いものなんて存在しない。
だから僕は言えるんだ。
「あなたの芸には価値がある」と。
③下手くそにこそ価値がある
僕は上手いには上手いのよさが、下手には下手のよさがあると思っている。
僕が主戦場としている舞台を例に挙げて説明したい。
舞台とは、大体1週間で10公演くらいやるのだけど、どうしても初日と千秋楽では完成度が違ってくる。
どれだけ舞台を経験しても初日は特別な緊張感があるし、千秋楽の頃には確実に無くなっている不安も初日には色々とある。
だから僕は、正直自分のお客さんには前半ではなく、後半に観に来て欲しいと思っていた。
その方が完成度が高いから。
だけど路上で、ある舞台好きな人に出会ったときに、その考えは変わった。
その人は「もし同じ舞台を2回観れるなら、初日と千秋楽を観に行って違いを楽しむ。でも1回しか行けないとしたら、初日を選ぶ」と言ったのだ。
その理由は「初日のバタバタ感が楽しいから」らしい。(笑)
未熟だからこその必死さや情熱というのは、熟練の技術と同じか、もしくはそれ以上の価値がある。
上手い人にしか出せないものがあるのと同様に、下手くそにしか出せないものもある。
下手くそが魅力になることもあるんだ。
「下手くそにこそ価値がある」ということも往々にしてあることは、僕はこれからも言い続けていきたい。
④芸は人生だ
芸は芸暦ではなく、人生だ。
芸というものは、現実社会よりも如実に現実を映し出す。
初対面でよく知らない人でも、僕と同じく舞台上で緊張していたら、実生活でも他人の目を気にしている人なんだなと分かるし、声が小さかったら自信がない人だと分かる。
人間性に年齢なんて関係ないのと同様に、芸術性に芸暦なんて関係ない。
出てくるのは、その人がどんな人生を歩んできたのか、それだけだ。
こないだ池袋での路上の際に投げ銭で300円を頂いた。
その方に「1分の芝居で300円だから時給18000円だね!」と言われた。
たしかに僕は、1分の一人芝居を披露してお金をもらっているけど、お金をもらったとき、その1分に対してお金をもらえたとは捉えていない。
それまで僕が歩んできた人生に対して、もらえたものだと思っている。
1分の芸といえど、その1分にはそれまでの僕の人生の全てが凝縮されているからだ。
だから僕は、あなたの芸に価値がないと言うのは、あなたの人生に価値がないと言っているのと同じことだと思う。
でも、人生に価値がないなんてありえない。
どんな人生を歩んでこようが、それはあなただけしか歩めなかった唯一無二の人生である以上、あなたの芸も唯一無二のものだ。
芸にはその人の人生が出る。
人生に価値がないなんてありえないのと同じように、芸に価値がないなんてありえないんだ。
【まとめ】
やはりどう考えても、「下手くそだから…」というのは、言い訳にしか思えません。
だって、下手くそだって好かれることはあるし、そもそもこの世に価値のないものなんて存在しないし、下手くそだからこそ生み出せる価値まである。
そして芸というのは、あなたの人生が凝縮されているものであり、人生に価値がないなんてありえない。
だから、僕は見てもいないのに断言できるんだ。
「あなたの芸には価値がある」と。
だから下手くそなんて、これっぽっちも気にしなくていい。
下手くそという自覚さえあれば、いつか必ず上手くなる。
僕ら下手くそは下手くそなりに、必死に人生を歩んでいきましょう!
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