俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

路上パフォーマーに”1円だけ”払うのはアリなのか?問題に回答する

どうも!路上役者亮佑です!!

 

僕は路上芝居での投げ銭(チップ)で生計を立てているのですが、投げ銭を頂く際によく添えられる言葉が、「少ないですが…」なんですよね。

昨日もありました。

 

とても気持ちは分かります。

「この人の勇気や芸に報いるためにチップを払いたい。しかし自分は金欠だ。1円や10円などでは逆に失礼になるだろうし、それなら払わない方がマシかもしれない。あぁ、どうしよう…」

そういうふうに考えてくれている人がいるのは、ヒシヒシと感じます。

 

そこで今日は、日常的に投げ銭を貰っている身として、投げ銭で少ない金額はアリなのか?もっと具体的に言えば、”1円”だけ払うのはアリなのかどうか?について、赤裸々に書いていきたいと思います!

 

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〜目次〜

 

 

投げ銭”1円”は余裕のアリ】

 

はっきり結論から言いましょう。

投げ銭”1円”はアリです。

 

アリ中のアリですね。

僕も1円だけ貰った経験が何度もありますが、それに対してネガティブな感情を持ったことは一度もありません。

 

 

【1円アリ理由①;悔しさもプラスになる】

 

しかし1円で「よっしゃああああああ!!!!!!」と嬉しかったことも一度もありません。

それは、”いまのところ”僕が1円を貰った全ての経験は低い評価とともにあるからです。

 

でもやはり、0円と1円は大きく違います

0円の場合も数え切れないほどありました。

 

 

〈1円=低評価、けど0円=高評価?〉

 

0円と1円の大きな違いは、0円の場合は高い評価のこともある、つまり爆笑を取ったけど0円だった、ということもあるということなんですよね。

1円=低評価なんですが、0円=低評価というわけではないんです。

 

いくら笑わせても、いくら満足させても、形のない芸事にお金を払わないという人はいます。

そして、表情一つ変えず「面白かった」と言ってくれる人もいます。

 

つまり0円というのは、こちらからすると「評価がわからない」んです。

実際は楽しんでくれていたけど、お金を払わない人だったのかもしれない。

 

でも1円だった場合は、違います。

その人は実際お金を払っているので、払う意志はあったということです。

 

その上で1円だったのなら「自分の力が足りなかったから1円だった。もっと上手ければ、もっと貰えたはずだ」と、明確に悔しさを感じられます。

 

その悔しさは、「もし次見てくれることがあったら、今度は50円100円もらえるように頑張ろう」というポジティブな気持ちに変えることができます。

 

たとえ1円という小さい金額でも、1円以上の大きな悔しさを感じさせてくれるのです。

 

 

【1円アリ理由②;お金の価値は人によって違う】

 

さきほど、「”いまのところ”僕が1円を貰った全ての経験は低い評価とともにある」と書きましたが、おそらくこれから違う経験もするでしょう。

 

一度こんな経験をしました。

僕の芝居を見てくれた男性が、「本当に面白かったよ。でもごめん、俺いま本当金ないから、なけなしの10円だけど…」と言って、10円をくれたのです。

 

その10円は、僕にとって人生で一番価値のある10円になりました。

10円であんなに嬉しかったのは、初めてでした。

 

当たり前ですが、お金の価値は人によって違います

小学生にもらう100円と社会人にもらう100円は、同じ100円でも受け取る側からしたら全く違います。

 

そのことを、道端に落ちているお金を拾うのが、昔は100円からだったのに、最近は1円でも拾うようになった僕は、痛いほど理解しています。

 

もし今後僕が、「本当に面白かったよ。でもごめん、俺いま本当金ないから、なけなしの1円だけど…」という言葉とともに、1円を貰えたら。

その1円は絶対、僕にとって人生で一番価値のある1円になりますね。

 

 

【結局、投げ銭は”気持ち”】

 

ストリートミュージシャンの目の前に置かれている箱に、「よろしかったら、お気持ちをください」とよく書かれているように、結局、投げ銭は”気持ち”です。

 

同じビールでも、コンビニだと300円なのに、野球場だと700円になるように、金額や価値に絶対的なものなんてないんです。

投げ銭の額は、ざっくり決めちゃっていいんです。

 

そして、「少額だと逆に失礼」なんてことは絶対にありません。

1円でもいいんです。

 

でももし、「本当はもっとたくさん払いたいけど、お金が…」という時は、是非言葉を添えてあげて欲しいです。

 

先ほどのなけなしの10円をくれた男性のように、「本当に面白かったけど、いまはこれだけしか出せないんだ」と、一言添えてくれれば、たとえそれがどんなに少額でも、僕たちにとっては、最高の、掛け替えのない経験になります。

 

 

【まとめ】

 

もうバレてるとは思いますが、声を大にして(文字を大きくして)正直に言いましょう。

俺はお金が大好きだ。

 

お金がないと生活できないし、お金で買える幸せもたくさんあると思っているから、必死にお金の稼ぎ方を模索しているし、めっちゃ笑ってくれたのに0円だった場合は「1円でもいいから払ってくれ」と、内心思っています。


こういうふうにお金のことをあからさまにブログに書いたり、下のように毎日稼いだ金額を生々しい現金の写真とともに1円単位でSNSにアップしている表現者もあまりいないだろう。

 

 

でも、そんなお金好きな僕が断言する。

本当に、1円でもいい。

 

なぜなら、本当にお金目的だけで生きるなら、表現者という儲からない道は最初から選ばないから。

これは僕のような役者だけでなく、おそらく路上でやっている全てのパフォーマーに言えることだと思う。


みんなもちろんお金にも価値を感じているけど、もっと違う部分を一番大切にしているからこそ、表現者という道を選んだ。

 

結局、なんだかんだ気持ちが一番嬉しい

「面白かった」「あなたのおかげで元気が出た」「楽しかった」

こんな言葉をかけてもらえるのは、間違いなく表現者だけの特権だ。

 

だから僕たちは表現する。

 

でもそれだけじゃ食べていけないのも事実。

 

だから僕たちは”お気持ち”を下さいと箱を置く。

 

お気持ちなんだから、そこにお気持ちがあればなんでも嬉しいんですよ。 

僕は中学生が投げ銭箱に雑に投げてきたお金を「そんな入れ方するならいらない」と返したことがあります。

そこに気持ちがなければ嬉しくない。

 

「少ないですが…」とか言ってますが、少ないことなんてありえないんです。

少ないですが、と言っている時点で、あなたの大きなお気持ちをすでに感じていますから。

 

お金がない、でも観たいとき。

僕はそんな全ての方に、「どうぞ1円を握りしめて来てください」と伝えたい。

 

その1円はきっと、僕の中で最も価値のある1円になるだろうから。

 

 

 

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