俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

僕は技術絶対主義に立ち向かう〜技術は大して重要じゃない〜

 

【この記事を読んで欲しい方】

 ・役者や表現者で「まず上手くならなきゃ」と思っている方

 

 

【この記事を読むメリット】

 ・「技術」や「上手くなること」を一番の目標にすることの危険性がわかる

 


【この記事の信頼性】

 ・技術に特に定評があるわけではない筆者は、前回の舞台で集客数100人超え、先月の役者収入は15万円を超えた。

 

f:id:rojoyakusha:20190614145637p:plain


 

〜目次〜

 


【はじめに】

 

昨日、一昨日と二日続けて、僕が「役者の方ですか?」と聞くと、

「まだ駆け出しなんで、役者と名乗れるほどではないです…」

と、答える人に会いました。

 

僕が「そんなの関係ないですよ」と言っても、

「まだまだ未熟なので…」と、謙遜するばかり。

 

この世に未熟じゃない役者は存在するのだろうか。

 

僕はずっと思っていることがある。

 

 

役者は、そして表現者は、絶対に技術が全てではない。

 

役者になりたいと思って一歩踏み出したなら、役者と名乗ってはいけない理由なんてないはずだ。

 


【あくまで技術は単なる手段】

 

芝居、そして表現の価値というのは、「見ている人を楽しませられたか」ということに尽きるし、

目的も同じで、「いかにお客さんを楽しませるか」です。


上手くなること、つまり技術というのは「楽しませる」ための一つの手段にすぎません。

 

だから役者になるために、また役者と名乗るために、

「とりあえず上手くならないといけない」ことも

「とりあえず勉強しなきゃいけない」こともありません。

 

 

【プロの役者である僕の技術】


現在僕は、役者以外の仕事はしていません。

路上での一人芝居や舞台、イベントなどの芝居の仕事だけで生計を立てています。

 

さて、そんな僕は果たして「芝居が上手い」のでしょうか?

 

先日、あるYouTubeチャンネルに僕の一人芝居の動画を載せて頂きました。

 

www.youtube.com

 

この動画は、2万5千回再生されているのですが、そのコメント欄を見てみましょう。

 

 

「精神と努力は一流けど炭酸抜きネタが面白くなかった・・・」

「素晴らしい?素晴らしくない…」

「役者というよりお笑い芸人っぽくて草」

「優しい目で!見てあげよう!」

 

 

こんな感じです。

 

昨日だって、通りすがりのおっさんに「10点!」って言われたし、

「おもしろくない!」と言われた経験は、もうあり過ぎて数え切れないほどです。

 

でも、あまり気にしていません。

 

だって、自分が下手なことは自覚しているし、それが全てではないと思っているし、そして「見る人が面白さを見出す力がなかった」可能性だってあるからです。

 

僕も技術が全てだと思い込んでいたときは、

「下手くそ」と言われるのが、怖くて怖くて仕方なかったですが、今は平気です。

 

重要なのは、それぐらいの下手くそでも、

 

f:id:rojoyakusha:20190614140824p:plain 

こんな言葉を、言ってもらえるということです。

 

 

【おわりに】

 

上手くなることは目的じゃない。

あくまで手段です。

 

いまは手段が絶対的な価値を持ちすぎていると思います。

 

絶対的な価値を持っていいのは、目的だけです。

つまり芝居、そして表現の目的である「お客さんを楽しませること」だけです。

 

おそらく誰でもそうだったと思うのですが、役者になろうと決意したときは、

「自分の表現で見ている人を元気にしたい、楽しませたい」と思っていたはずです。

 

しかし続けていくうちに、いつの間にか「上手くなること」を目指してしまっている。

 

誰も見てなくても、誰も喜んでくれなくても、

家で一人で最高に上手い芝居ができれば、それで満足なのか?

 

そんなわけない。

 

あんまり「今の世の中は」的なことを言うのは好きじゃないけど、

今の世の中は、技術が力を持ちすぎている。

 

テレビをつければ、唄が上手い歌手を、芝居が上手い役者を、芸達者な芸人を、数多く目にすることができる。


YouTubeだってそうだ。

オススメ動画に出てくるのは、上手いか面白い動画であって、下手でクソみたいな動画は、自分から探しに行かないと見ることはできない。

 

世の中は「上手い」で溢れている。

 

そして、それは無意識に「上手くないと人前に出ちゃいけない」という気持ちを芽生えさせる。

 

だからこそ「下手くそは恥ずかしいもの」という認識になり、下手くそは嘲笑される。

 

「上手くなる」という一つの手段にすぎないものが、いつのまにか人前に出るための「最低条件」にまでのし上がっている。

 

誰かが決めたわけでも、誰に教えられたわけでもないのに、技術を絶対視する。

そんな世の中は、生きづらい。

 

でも、上手くなることは、目的でも最低条件でも絶対的なものでも、なんでもない。

「楽しませる」ために、数多く存在する手段の一つだ。

 

下手くそでも「楽しませる」ことはできるし、上手くても楽しませられないことだってある。

 

だから、技術だけを追い求めるのはナンセンスだ。

 

僕はこれからも一人の下手くそとして、技術絶対主義に立ち向かっていきたいと思います。

 

 

【合わせて読みたい】

下手くそとかまじ関係ねえ!ー下手くそだけどめちゃくそ感動した、16歳の少女との出会いー - 路上役者亮佑

 

 

 

 

 

路上役者亮佑のTwitter路上役者亮佑 | Twitter

 

路上役者亮佑のFacebook路上役者亮佑 | Facebook

 

路上役者亮佑のInstagram路上役者亮佑 | Instagram