俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

「たのしい」は常にアップデートされていく、という話

 

どうも!路上役者亮佑です!

 

昨日、下北沢の駅前で大道芸人が路上パフォーマンスをしていました。

パッと見で、観客は50人以上。

 

「一度に50人なんて凄いなぁ。俺は50人見てもらうのに3日はかかるよ」と思いましたが、他人との比較はいけません。

 

僕の悪いクセです。

 

比較は必ず「過去の自分」とすべきであって、他人とはしてはいけない。マイルールです。メリットゼロですからね。タバコと一緒です。

 

そんな大道芸人を見て、自分を見つめ直し、過去の自分といまの自分を比較してみました。

その結果、「たのしい」という価値観は、ずっとアップデートされ、変わっていくんだなぁということに気づきました。

 

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【過去の自分と、現在の日常】

 

2年前は「路上で1日に5000円とか稼げたら、最高に楽しいだろうなぁ〜」と思っていました。

 

しかし2年経ち、その憧れていた段階が、日常的に経験できるようになりました。

いざ現実となり、日常的になると「最高に楽しい」とは感じなくなります。

 

そして、日常は感性を鈍らせます。

 

憧れていた状況が現実になったとしても、それがずっと高い幸福感を与えてくれるわけではありません。

 

ずっと同じことで、ずっと同じ「たのしい」を感じることはできない。

 

普通に働いている人はニートになりたいと言うけど、実際にニートになったら、最初はいいかもしれませんが、そのうち「やっぱり働きたい」と言い出すでしょう。

 

良くも悪くも、日常は感性を変えてしまうほど、大きな力を持っています。

 

  

【「たのしい」と密接につながる「伸びしろ」】 

   

いつもテストの点数が30点の凡人が、60点を取ったら「勉強って、こんなにたのしいんだな!」と、価値観が変わるほどの嬉しさがあるでしょう。

 

でも、いつも90点の天才が95点を取っても、そんなに嬉しくはありません。

 

この点数を取れば、絶対嬉しいという「絶対値」は存在していなくて、ヒトが幸福感やたのしさを得られるのは、いつだって自分の成長を感じたときです。

 

なので、「たのしい」という価値観は「伸びしろ」と密接なつながりがあります。

 

 

ちなみにそこで、せっかく頑張って60点を取った凡人が、常時90点を誇る天才と自分を比較してしまうと、「こんなに頑張ったのに、まだアイツとは30点以上差があるのか」となって、ムダに落ち込んでしまうので、他人との比較はやはり良いことはありません。

 

 

【たのしい人生に幸福感を得るために】

 

2年前の僕は常に30点しか取れていなかったので、「50点も取れたら、最高に嬉しいだろうな〜」と思っていたけど、今は50点が僕の平均点なので、以前に想像していた嬉しさはありません。

 

では、何に喜びを感じるかと言うと、もちろんさらなる伸びしろです。

「70点取れるようになったら、最高に楽しいだろうな〜」です。

 

僕はいま、70点という名の月収20万円を目指しています。

それが達成できたら、またさらに上を目指すことになるでしょう。

 

そして、テストには100点満点という上限がありますが、人生に上限はありません。

テストとちがって、人間の欲には満点や上限がないからです。

 

「ここまで来たから、次はこうしたい」と、常にもう一段上に行きたい、という欲望を実現するために戦うことになります。

 

日常という慣れは「たのしい」という感覚を鈍らせる。

だから常に成長を続けなければいけない。

 

そうやって「たのしい」は、iPhoneのようにどんどんどんどんアップデートされていく。

 

他人とではなく、過去の自分といまの自分を比較して、アップルに負けじと、僕もどんどんハイスペックに自分と「たのしい」という価値観をアップデートしていき、幸せな人生を送っていきたいと思います。

 

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