どうも!路上役者亮佑です。
昨日の出来事でした。
カップルが歩いてきて、僕の方を見た男が吹き出したように笑い、隣にいる彼女にコソコソと一言。
「一人芝居、1分だけだって(笑)」
それを聞いた彼女も、吹き出したように笑う。
こういうこと、よくあるんですよね。
バカにされることは日常茶飯事です。
しかし、バカにされることをサラッと流せるほど僕は大人じゃありません。
そういう人たちの背中に向かって、暴言を吐いたことは一度や二度じゃない。数え切れないぐらい。(笑)
でも最近、少しは柔らかく考えられるようになったんです。
「バカにする人たちがたくさんいるおかげで、俺は今路上芝居で飯が食えてるんだな」と。
もちろんバカにしてくる人たちに感謝しているのではないです。
そんな気持ち一度も抱いたことはありません。これからもないでしょう。
【ヒトがヒトをあざ笑う時は価値を感じられない時】
なぜ彼らは僕をあざ笑うのか。
それは、路上芝居に価値を感じていないからです。
例えば、メガネが発明されて間もない時代に、他の人に先駆けてメガネをかけていた人は笑われたのではないでしょうか。
「アイツ、顔になんか変なものつけてる!カッコわるっ!」
と。
僕なら笑っていたと思います。
価値を理解していないからです。
しかし、「あれはメガネといって、遠くのものが見えづらい人でも、よく見えるようになるものなんだよ」と教えてもらい、実際にメガネをかけさせてもらったら。
二度とメガネをかけている人を見て笑うことはないでしょう。
価値を理解したからです。
つまり、バカにされるということは、価値が広まっていないということの裏返しなのです。
【価値が広まっていないと、参入者が少ない】
しかし、これは大きなチャンスです。
価値が広まっていないと、参戦してくるプレーヤーが増えません。
メガネの例でいえば、視力矯正の意味を知らず、ただの”ダサいもの”という認識だったら、メガネを使用する人は増えないでしょう。
価値を感じないんだから、当たり前ですね。
路上ライブは価値をみんなが感じているので、プレーヤーが多い。
路上芝居は価値をほとんどの人が感じていないので、プレーヤーが少ない。
みなさんも路上で芝居やっている人、ほとんど見たことないですよね?
プレーヤーが少ない市場に飛び込めば、必然的に価値は高まります。
多いものよりも少ないものに価値があるというのは、世の常です。
100人の中で1位になる確率よりも、2人の中の方が1位になれる確率は高い。
100人の中で目立たないと埋もれますが、2人しかいなければ埋もれることはないし、目立たないということもありません。
【参入者が少ないフィールドは、勝率が高い】
僕は芝居がまだまだ下手くそな凡人です。
もしかしたら本当は、芝居で飯が食えるほどの実力はないのかもしれません。
でもそんな凡人な僕が、いまこうして芝居で飯が食えている理由の一つは、路上芝居という競争相手が少ないフィールドで勝負しているからです。
舞台役者は、ゴマンといます。
そこでまともに勝負したのでは、僕は埋もれていくでしょう。
路上役者は、ゴマンといません。
僕が把握している限りでは、僕の他にもう1人しかいません。
競争相手が少ないことで、常に目立つことができるのです。
同じ俳優業をしている人に
「お前、こんなことやめろよ」
と、言われたこともあります。
その方も、路上芝居の価値を感じていないのです。
でも僕は、そのように路上芝居に価値を感じていない人がたくさんいるおかげで、競争相手が少なく済んでいます。
僕はいま幸せです。
でも、僕をバカにする人のように、路上芝居に価値を見出せていなかったら、いまの幸せは絶対にありません。
バカにされることは、恥ずかしいことではない。
むしろ凡人は、バカにされるようなフィールドで戦っていくぐらいが、ちょうどいいんです。
ビバ、あざ笑い!
世の凡人たちよ、貪欲にバカにされていこうぜ!
そして、世のすでにバカにされている人たち。
これからも自信を持って、バカにされていこうぜ!
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