どうも!路上役者亮佑です!
最近、路上をやりに高円寺に行き始めたんですが、
高円寺にはいつ行ってもお客さんで溢れている、スゴイ八百屋さんがあります。
髙野青果です。
八百屋さんって、大型スーパーなどの台頭で少なくなってきていますよね。
でも、ここは違うんです。本当にいつもお客さんで溢れている。
少し観察しただけでも、この髙野青果は決して”野菜だけ”を売っている八百屋ではないことに気が付きます。
そしてその髙野青果が売る「野菜以外の売り物」が、
繁盛のカギになっていると感じました。
さらに、その髙野青果の売り出し方は、
僕ら役者にとっても、大いに参考になる部分があると思いました。
〜目次〜
【八百屋に吹きすさぶ逆風】
八百屋さんは、間違いなく減少傾向にあって、
40年前と比べると、4分の1以下まで減少している、らしいです。
【参考】
その理由は、大型スーパーに取って代わられたからだというのは、経済ド素人の僕でも想像はつきます。
しかしそんな中、髙野青果は"野菜だけ"を売り物にせず、
「元気や活気、笑顔やコミュニケーションをも売り物にする」ことで、この逆風を乗り越えています。
【髙野青果が野菜以外に売っているもの】
髙野青果の店員さんたちは、とにかくよく喋ります。
先日、僕が通りがかった時は、
店員①「ほうれん草がおトク!今なら2把だよ!2把!ニワニワニワニワニワ!」
店員②「はい、ほうれん草がおトク!ほうれん草!」
店員③「今なら2把!2把だよ、2把!」
店員①「ニワ!ニワ!ニワ!ニワ!ニワ!!!」
活気で溢れている、という言葉が、
これ以上にピッタリ当てはまる光景を、僕は目にしたことがありません。
その隣では、エリンギを買おうとしているおばあちゃんに、
「こっちのほうがいいんじゃない?大きいの入ってるし!」
と、心の温かさを感じられるようなコミュニケーションをとっていました。
さらにその隣では、
「こっちのほうがね、色が濃いから甘くて美味しいよ」
と、八百屋さんならではの目利きの上で、なんかの野菜を売っていました。
僕はあまり自炊をしないので、野菜の相場にそこまで詳しくないですが、
髙野青果は目に見えて安い値段で野菜を売っているわけではありませんでした。
それなのに、いつ行ってもお客さんでごった返している。
その理由は、野菜だけでなく、声を出して活気を作り出し、元気を売り、コミュニケーションをとって、人の温もりをも売り物にしているからではないかと思いました。
【野菜だけを売る八百屋は、激しい価格競争に巻き込まれる】
僕の家の近くの小さな八百屋さんは、こないだ潰れました。
そこは"野菜だけ"を売っている八百屋さんでした。
単に野菜だけを売っている八百屋さんは、価格競争に巻き込まれます。
同じ野菜だったら安いほうがいいと、誰しも思うからです。
今や大型スーパーが台頭し、コンビニやドラッグストアでも野菜は買えます。
わざわざ家から出なくても、アマゾンでも買えます。
そんな激しい競争の中、"野菜だけ"を売っている八百屋さんは間違いなく淘汰される。
現在進行形で、淘汰されている。
でも、髙野青果は笑顔や温もりも売っているし、活気や元気も売っています。
もちろん、元気や活気に値札が付いているわけではありません。
しかし人間である以上、そういった目に見えないモノも無意識で計算しているはずです。
たとえば、スーパーの"ただの野菜"が140円で、髙野青果の"オススメの野菜"が150円だとします。
値段が高かったとしても髙野青果に行けば、「信頼出来る」店員さんが「笑顔」で「元気よく」「旬で美味しい」野菜を、目利きの上でオススメしてくれるし、活気のあるお店に元気ももらえる。
そうなったら、むしろ髙野青果の150円の野菜のほうが安く感じるんではないでしょうか。
きっと髙野青果で野菜を買うお客さんはそう感じているはずです。
額面通りの「値段」で判断するのではなく、
活気やコミュニケーションなども含めた「価値」で判断している。
そして、このような「付加価値をつけること」が、
どんな業態でも求められていくんじゃないかと思うのです。
【芝居だけを売る役者も厳しい競争にさらされる】
どんな業態でも付加価値を高めることが求められる。
つまり、これは役者にとっても他人事ではないと思うんです。
野菜だけを売る八百屋が潰れていくように、
芝居だけを売る役者も潰れていく。
芝居だって、芝居だけなら他にゴマンとやっているし、
大劇場にいけば有名な俳優が質の高い芝居を供給しているし、
ネットフリックスには面白い作品が次々と出てきているし、
なんなら、YouTubeには無料で楽しめるコンテンツがゴロゴロ転がっている。
"芝居だけ"を売り物にしている役者は、それらとの競争に巻き込まれます。
芝居だけを見たいなら、わざわざ劇場に行かなくても、ネットフリックスやYouTubeで十分満足できるからです。
そこに勝つには、よほど質の高い芝居を提供するほかありません。
野菜で言えば、高級レストランに納品されるような、
日本最高級のクオリティが求められる。
他を寄せ付けないほどに、「あの人の芝居は、他の役者とは全然違う」と、たくさんの人に認められるほどのものでなければいけない。
そんなの厳しすぎますよね。
無理ゲーです。
でも、芝居しか売らない役者は、そんな厳しすぎる競争に、自らすすんで飛び込んで行っているのと同じなのです。
【まとめ】
芝居だけを売り物にしていると、死ぬほど激しい競争に巻き込まれ、まさに役者として死ぬ可能性が高くなる。
だから髙野青果のように、「単純な商品だけではない付加価値をつけること」が、役者にとっても重要だと思うのです。
その方法は何でもいいと思います。
自分をさらけ出し、自分の人間性に触れてもらう。
直接会って、自分の温度を感じてもらう。
自分という人間を感じてもらう。
ただ一つ、確実に言えることは、
芝居だけを売り物にしていてはいけないということです。
自分という人間自体に価値を感じてもらい、
自分という人間自体を売り物にしていかなければ生き残っていけない。
ネットは手軽で安くて最強に思えます。
しかし、どれだけネットが普及しようと、
僕らが人間である以上、「直接触れること」の価値が、ネットを下回ることはありません。
スカイプのやり取りだけで結婚しても、「僕らは毎日スカイプしてるから、直接会わなくても別に平気なんだ」という夫婦はいないだろうし、
「グランドキャニオン?わざわざ行かなくても、Googleで調べればすぐ見れるじゃないか!」なんて人もいないでしょう。
「直接見る」「直接会う」ことの価値は不変です。
そこに勝機はあるんじゃないかと、僕は個人的に思っています。
「あの人に会って、あの人の芝居を見たいんだ」と思ってもらえるように。
これからは、「野菜だけを売る八百屋」「芝居だけを売る役者」「商品だけを売る商売」は確実に潰れていく。
そうならないように、自分にしか出せない付加価値を提供できる人間になりたいですね。
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