俺は路上で生きていく

路上での一人芝居のみで生計を立てる路上役者のブログ

他人の目を気にするしょうもなさーんなこと気にしても損しかない理由ー

どうも、皆さん、こんにちは!路上役者亮佑です!

 

他人の目って気になりますよね。

僕も、特に学生時代なんかは、「嫌われないこと」と「カッコ悪いと思われないこと」の二つが生きる目的でした。

 

クラスメイトの女の子たちにいかに嫌われないかが、最優先事項だった(笑)

 

 

お察しの通り、そんな人生楽しくなかったです。

 

その頃に比べたら、マシにはなりましたが、今でも僕はつい他人の目を気にしてしまいます。

 

でもやっぱり、他人の目を気にするなんてクソしょうもなくて、めちゃくちゃもったいない

 

そう思えるようになった出来事が先日あったので、今回はそのことについて書いていきたいと思います!

 

それは、僕が福祉施設のイベントで、お芝居を見せに行ったときのことです。

 

そのイベントに僕はゲスト、すなわち部外者として行きました。

参加者の多くは日常的に接している施設利用者だし、出演者の多くも日常的に接している職員の方です。

 

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そんな状況の中、初めて見る人が何人かいたら、普通気になりますよね。

僕だったら、「誰だ、あいつ?」と、こっそり横目で確認します。

 

だから僕は、部外者の自分は注目されるだろうと思って行きました。

日常的に路上に立ち、舞台でも人前に立つ僕は、ある意味「自分は”見られるもの”だ」という思い込みがあったのかもしれません。

 

だけど、いざ行ってみると、彼らは僕のことをあんまり見ていませんでした(笑)

 

他の出演者が前で歌っている時に、僕は客席にいました。

その時、後ろから視線を感じたので、「ゲストだから、やっぱり見られているな」と思ったんです。

 

サービス精神旺盛な僕は、僕に視線を送る参加者の方のほうに満面の笑顔で振り返りました。

しかしその方は、僕ではなく、ただ僕の上の方を見ているだけだったんです(笑)

 

その時に、「あ、他人の目ってただの勝手な思い込みなんだな」と、思いました。

 

決定的瞬間を目撃した名探偵

 

”他人の目を気にする”とはよく言いますが、その他人の目というのはいったい何なんでしょうか?

 

一般的には、周りの人々の視線や意見のことを指します。

でも実際は、「あの人がこっちを見ている」「あの人は、自分をこう思っているんじゃないのか」という、他者の視点に立った”自分の”意見ですよね。

 

実際他人が自分のことをそう思っているか、自分のことを見ているかなんか分かるはずがないんです。

 

それなのに、僕はつい単なる自分の思い込みを、他者の視点へとすり替えてしまっていたのです。

 

そして、他人の目を意識し始めると、精神的にめちゃくちゃ消耗します。

 

他人の目の正解は、他人にしかないからです。

 

他人の目を気にする人というのは、おそらく僕のように他人に嫌われることを恐れている人なので、「君ってさ、僕のこと嫌いじゃないよね?」と、真っ向から自分の思っていることを聞けるほど、勇敢ではありません。

 

「こうされたら、嫌かもしれない。嫌われるかもしれない。じゃあ止めておこう」と、全て自分の中で完結させてしまいます

 

当の本人に確認することもせず、勝手に「嫌われないか?」という問題を作り出し、勝手に「止めておこう」という答えを作る。

 

正解かどうか分かるはずないのに。

だって、正解を持っているのは自分ではなく、相手だから。

 

そりゃ精神消耗しますよね。

答えが分からない問題を解き続けているんだから。

 

「他人」に基準を置いてしまうと、正解は分からないし、無限にある。

でも自分に基準を置けば、正解も自分の中にあるし、答えはひとつだけです。

 

まさに、他人の目を気にすることは百害あって一利なし。

 

他人の目を気にすることはしょうもない。

まじでもったいない。

基準をしっかり自分に置いて、自分のために生きていきたい!

 

そう思えた出来事でした。

 

わっしょい!

 

 

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