どうも!路上役者亮佑です!
先日、路上で出会った役者さんが、
「僕、自分の長所がわからないんです」
と、嘆いていました。
考えてみると、僕も自分の長所がなんとなく分かり始めたのは、路上を始めてからでした。
オーディションなどで自己PRをするときは、
取ってつけたような長所を自分の長所だと頑張って思い込もうとしていました。
しかし路上を続け、日々人前で表現するようになってから、その考えは徐々に変わっていきました。
〜目次〜
【長所を見つけることは、なぜ重要なのか?】
役者として、自分の長所を自覚することは重要です。
それは、自分に自信を持つ必要があるからです。
自信の無さは何らかの形で芝居に出てしまい、
そしてそれは見ている人に、必ず何かしらの形で伝わります。
「自信なさそう」とダイレクトに伝わるかもしれないし、「なんとなく印象に残らない」という寂しい結果を伴うものかもしれません。
僕も舞台に立ち始めた頃に「他の人と比べて落ち着きがない」という感想をもらったことがあります。
少なくとも自信がないことは、役者として得をしないことは確かです。
【自信や長所の発生源は?】
では、その大切な自信や長所の発生源は何なのかと考えてみると、それは自分が「成し遂げてきたもの」です。
「大学時代はサークルで代表をやらせて頂いていたので、リーダーシップには自信があります」
このような長所アピールは、テンプレートのように聞きますが、リーダーシップがあるという長所の発生源は、サークルの代表という「成し遂げてきたもの」です。
僕の場合は「一人で路上に立つ」ことを成し遂げた行動力と、
「2年以上路上に立ち続けている」ことを成し遂げた継続力が長所でしょうか。
しかしこの場合、行動力や継続力という「長所」よりも、一人で路上に立ち、それを続けてきたという「成し遂げてきたもの」のほうが重要です。
自信があるかないかというのは、何か成し遂げた結果として生まれる表面的なものです。
実際は自信の有無よりも、その自信を生み出す過程となる「成し遂げてきたもの」のほうが、はるかに重要です。
【役者としての自信の発生源とは?】
では、役者としての自信につながる「成し遂げてきたもの」は具体的に、何になるのでしょうか。
僕は「他者に芸を褒められること」だと思います。
「どれだけ褒められてきたか?」が自信に繋がり、
「何を褒められてきたか?」が長所になる。
だから役者としての自信の有無は、
「他者にどれだけ芝居を褒められてきたか」によって決まると僕は思います。
つまり、自信がない人というのは、言い換えれば「褒められ不足」なのです。
【褒められるためには?】
役者が芸を褒められるためには、表現するしかありません。
「自分の強みは何なのか?」と、自己分析を繰り返すことではなく、
表現することだけが、自信を持てるようになるための唯一の解決策です。
人前で表現することだけが、他者に芸を褒められることに繋がり、それが最終的に長所と自信に繋がります。
だから、役者としての自分の長所の見つけ方は、
「表現すること」一択です。
【最後に】
長所というのは自分が「これだ」と思っているものが相手にも伝わり、
相手も全く同じものを長所と思ってくれる、というわけではありません。
見る人によって違うものであり、その意味でフワフワしているものです。
フワフワしているという意味で、自分の長所というのは、自分が生きている意味ぐらいはっきりしないものです。
そして、長所というものは自分で見つけるものではなく、他人が与えてくれるものだと、僕は思います。
自分の一番そばにいる最も大切な人が、自分が生きている意味を与えてくれるように、
自分のことを好きになってくれた人が、自分に長所や自信を与えてくれるのではないでしょうか。
そしてそれは、その人によって違ったりします。
正直、自分の何が長所になりうるかなんて、自分でもわからない。
だから、自分の中に答えはありません。
自分の中に答えのないものを探すより、表現者であるなら、自分の中にある欲望をどう表現するかを考えるほうが有益です。
自分の長所が分からなくて、自分に自信が持てない役者がいたら、とりあえず人前で表現をすること。
表現していれば、必ず誰か褒めてくれる人が現れるし、自分が思いもしなかった長所を見つけてくれる人も現れます。
僕たちは表現者です。
表現し続けることだけが、答えに近付く道なのではないかと僕は思います。
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