どうも!路上役者亮佑です!
路上に立っていると、やはり批判を受けることもしばしばあります。
「ダメだね」
「つまらない」
「まずもっと芝居を見ろ」
「このやり方じゃ無理じゃない?」
などなど、他にも様々なことを言われます。
でも、それでも僕は批判される人間でありたいと思います。
〜目次〜
【①批判に本質的な価値はないから】
目の前に批判している人間と批判されている人間がいたら、
批判している人間のほうが理解力があって、世の中を知っていて、賢く見えます。
一見批判している側がポジションを取っているようですが、
実際の価値は、批判している側にはありません。
それは、「"批判の対象"を作り出しているのは、批判されている側だから」であり、
批判する側は、その"批判の対象"がなければ、何も批判できないからです。
批判する側は、批判される側が何かを生み出して初めて、批判するという選択肢が取れます。
つまり、批判される側が何も生み出さなければ、批判する側は何もできないのです。
だから、根源的な価値は批判される側にあり、批判する側には何もないのです。
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【②人間的につまらない人になってしまうから】
僕は昔、批判ばかりしていて、それでポジションを取ろうとする人間でした。
誰かが必死になって考え、生み出した何かを
「これはここがダメだよね」
「これよりこっちのほうが効率良いよね」
などとドヤ顔で正し、自分の優位性をアピールするような人間でした。
批判をしているとき、一時的には気持ちよくなることができます。
「あなたのダメなところが私には分かる」と、自尊心を満たしてくれる。
でもそれは実際のところ、いちゃもんを付けることしかできないだけで、
「あなたの良いところが私には分からない」と言っているのと同じです。
そして、批判をしているときは、何かを生み出す大変さに気づいていない。
自分の批判や意見には価値があると思い込んでいる。
そして、またさらにアラ探しに熱中する。
批判ばかりしていたときの僕は、
「悪いところを見つけられる人間」ではなく、
「良いところを見つけられない人間」だった。
こんなヤツ、人間的にとても寂しく、つまんないですよね。
【③批判する人間は行動していない人間だから】
批判される人間というのは、必ず何かしらの"行動"を起こしています。
何かしらの行動を起こしているからこそ、批判されます。
もし何も行動していなければ、そもそも表に出ることがないので、批判のされようがありません。
では逆の場合、批判している人はどうでしょうか。
批判ばかりしているときの僕がまさにそうでしたが、多くの場合、
批判ばかりしている人間は、何も行動していない。
何かしらの行動をしている人は、その自分の活動に必死なので、他人を批判している余裕なんて生まれません。
逆に、行動していない人というのは、行動していない分、脳に余裕ができ、考える余地が生まれるので、他人の批判に必死になっている場合が多い。
一見ちゃんとした理論を語り、様々なものを批判していますが、
結局自分で行動を起こしていなければ、ただの頭でっかちで、その理論はまさに机上の空論です。
自分は何も行動していないにもかかわらず、他人の批判だけは一丁前にするなんて、
とても魅力的な人間には思えないですよね。
【批判される人間でありたい】
現代はSNSが発達し、誰でも手軽に発信者になれる時代になりました。
しかしその発信の内容は、自らが生み出した何かを広めるための「創造の発信」ではなく、
誰かが生み出した何かに文句を言うだけの「批判の発信」が目立ちます。
何か間違いを起こした人がいて、多くの人がそれに異議を唱えていると見るや、
どこの誰かもわからぬような匿名アカウントが総出で批判を始める。
みんなが同じように、自らは矢面に立たず安全なところから一斉に石を投げ始める。
みんなが褒めてるものは褒め、
みんなが貶(けな)しているものは徹底的に貶す。
「責任を取れ!」と誰かを批判している人は、
もしその人の人生があなたの批判によって潰れてしまったとしたら、責任を取ってはくれるのだろうか?
僕はカッコイイ人生を歩みたい。
他人が思うカッコイイではなく、自分が思うカッコイイ人生を生きたい。
批判し続ける人間と批判され続ける人間。
どちらの人間がカッコイイのか。
批判しかできない。
何も創り出すことはできない。
自分では行動できない。
批判する人間ではなく、
批判される人間でありたいと、僕は思います。
「評論家というのは、気楽な稼業だ。
危険を冒すこともなく、料理人たちの必死の努力の結晶に審判を下すだけでいい。
(中略)
だが、評論家には苦々しい真実がつきまとう。
たとえ評論家にこき下ろされ、三流品と呼ばれたとしても、料理自体のほうが評論より意味がある」
ーラストシーン、料理評論家のセリフからー
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