どうも!路上役者亮佑です!
僕は、自分が役者として成長していくために「どんな批判も糧にしていこう」と思っていました。
でも今となっては、それは間違いだったと思っています。
【批判を受け入れるリスク】
批判は自分にとっては、耳が痛い話です。
良いことではない意見を受け入れるというのは、確実に大きなエネルギーを必要とします。
目には見えないですが、批判を聞いているとき、確実に心は消耗している。
目に見えないからこそ、批判をする方も受ける方も無視しがちですが、間違いなく心の消耗は、批判を受け入れる際のリスクです。
【後々、目に見える形で現れてくる】
僕は大真面目にいろんな人の意見を聞いていたら、いつのまにか心がすり減り「何もやる気が起きない」という形で、心の消耗が目に見える形で現れてきました。
その結果「どうせ今日も悪いことばかり言われる」と路上に立つのが怖くなり、4月は月の約半分、路上に立つことができませんでした。
【「成長のため」が後退を招く】
「批判を全て糧にする」のは、もちろん自分の成長のためでした。
でも批判を全て受け入れ、それに伴う心の消耗に気づかず、モチベーションを失ってしまった結果、何もできなくなってしまった。
一度立ち止まってしまったら、もう一度歩き出すにはかなりのエネルギーが必要になります。
休止のあとの目標は「再開」となり、本来の目的であった「成長」は再開のあとの遠い話になってしまう。
僕は成長のために批判を聞いていたつもりが、いつのまにか後退してしまっていたのです。
【成長の前提になる「継続」】
成長の前提にあるのは、継続です。
歩き続けることが大前提になります。
疲れが原因で休憩するならまだしも、落ち込んだりやる気がなくなったりすることで足を止めてしまうことは、なるべく避けたい。
そのように継続を重視するなら、
落ち込んだりやる気をなくしたりする原因となるものは、なるべく排除したほうがいい。
僕にとって、その最たるものが批判でした。
今は、批判を真に受けすぎないために、もっと自分勝手になっていいと思っています。
【おわりに】
昨日の出来事でした。
恵比寿でなかなか悪いことが続きました。
酔っ払いに「微妙だな」と言われ、あげたチラシを返され、
周りを気にして、芝居をちゃんと見てくれてないようなカップルにも「微妙だな」と言われ、
別のオッサンは一瞬立ち止まりかけるも「なに、金払わなきゃいけないの?」と怪訝そうに言い、去っていった。
以前のように、彼らの意見を真に受けていたら、僕はモチベーションを保てず、逃げ帰っていたことでしょう。
でも昨日は、そんな彼らを「ちゃんと見てねえようなお前の方が観客として微妙だわ」くらい自分勝手に考えていました。
そうやって批判を無視して継続していたら、その後とても良い出会いがありました。
足を止めず歩き続けたからこそ、可能性が開けたのです。
批判を受け入れるリスクというのは、自分が思っている以上に大きいものでした。
それで心がつぶれてしまうんだから。
批判というのは、それだけの危険性をはらんでいるということを、自分が批判をするときも受けるときも、もっと意識しなければいけない。
でも中には、その危険性を考慮してくれない人もいる。
考慮していないからこそ、気軽に批判を浴びせてくる。
だったら、受ける側が調節するしかない。
そんなダメ出しをするために生きているような人たちに、自分の人生を潰されたくはない。
これからはもっと気ままに、全ての批判を受け入れるのではなく、大切な人の意見だけを聞き入れて生きていきたいなと思います。
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