昨日、最近毎日僕に会いに来てくれるタクミくんと話していて、
「同じ結果を得るためには、同じ手段を取ってちゃダメなんだな」
と、気づきました。
【失われた"テッパン"ネタ】
そんな僕には昔、鉄板ネタがありました。
『だから、お前太ってんのか』
という演目で、これをやり始めた当初、もう本当に誇張なしに30回やったら27回ぐらいはウケる(本当だよ!)ネタでした。
「このネタはやっぱりウケるんだな!」
と味を占めた僕は、そのネタを毎回同じようにやっていました。
「毎回同じようにやっていれば、毎回同じようにウケるだろ」
てなもんです。
ところが、どうでしょう。
1ヶ月2ヶ月、3ヶ月と経ち、、
30分の27の確率で受けていたネタが、8割、6割、5割、、
と、どんどんウケなくなっていったのです。
現在、僕の勝負ネタである「本日のメニュー」に、
『だから、お前太ってんのか』はありません。
全くウケなくなったので、使えなくなったのです。
毎回同じことをやって、毎回大爆笑だった鉄板ネタは、いつの間にか、
毎回同じことをやっているのに、大爆笑という同じ結果を得られなくなったのです。
【同じ結果を得るために、違う手段を選択する】
僕は「爆笑」という結果を得るために、同じ手段を取り続けていたら、同じ結果を得られなくなりました。
むしろ、同じ手段を取っていたからこそ、同じ結果を得られなくなったわけです。
「爆笑」という同じ結果を得るためには、違う手段を取らなければいけなかったのです。
【プロとアマの違い】
プロは毎回同じ「結果」を手にしなければいけません。
例えば、「ずっと同じ味を守るために、創業から継ぎ足してきた秘伝のタレ」的なヤツを、テレビでよく見ますが、
ああいうお店って、毎回同じ味という「結果」を得るために、
毎回同じ「手段」を取ってはいないと思うんですよね。
毎日同じ味を再現するために、火加減や調味料の分量など、細かい部分を必ず少し変えている。
だって、その日の気温とか湿度は違うのに、毎回まったく同じ調理法をしていたら、
まったく同じ味になるはずがないから。
同じ結果を得るために、少しずつ手段を変えていると思うんです。
これは、お芝居にもきっと同じことが言える。
こないだ劇団四季の『ライオンキング』を見に行って、モーレツに感動したのですが、劇団四季の方々は、毎日のように本番をこなし、何度も何度もライオンキングを演じます。
そんなライオンキングでは、劇中でお父さんライオンが死んでしまうシーンがあります。
そこでは当然、みんな悲しい気持ちになるはずです。
しかし、劇団員からすれば、本番は毎日あるので、毎日のようにお父さんは死ぬんですよね。
毎日のようにやっていれば、当然人間は飽きてきてしまう。
毎回同じように臨んでいたら、絶対に気持ちは同じように盛り上がらない。
同じアプローチでは、「悲しい」という同じ結果は得られなくなる。
だって、芝居をぶち壊す言い方をすれば、
「あなた、昨日も死んでたよね?」
なわけです。
「このシーンの後にお父さん死ぬよね」というのは、
台本もらった時から分かっている。
でも、劇団員は毎回、
「いま、父親が(初めて)死んでしまった」という気持ちにならなければ、芝居は成立しません。
同じ味のために、微妙に違う手段をとる老舗のように、
きっと、劇団員の方は「悲しい」という、同じ結果を得るために、同じ手段は取っていないだろうなと、ティモンとプンバァのコンビ愛に見惚れながら思いました。
【おわりに】
そういう意味で、僕はまだまだアマチュアでした。
「これでウケたんだから、次も同じようにやれば絶対ウケるっしょ」
と、思っていたのです。
でも、以前の鉄板ネタが、今では姿を消したように、同じ手段は同じ結果をもたらさない。
手段の現状維持は、結果の現状維持にはつながらない。
このことから、よく聞く言葉ですが、やはり現状維持は衰退なんだと思いました。
気づかないうちに、後退しないよう、
つねに、手段を変えて前進していきたいですね!
路上役者亮佑のTwitter→路上役者亮佑 | Twitter
路上役者亮佑のFacebook→路上役者亮佑 | Facebook
路上役者亮佑のInstagram→路上役者亮佑 | Instagram